幕間のひと  【捌章】 想うはあなた 一人だけ






定例の在庫確認が終わって戸締まりもしたしさて帰ろう、と一同がしたところで。

「わっ」
「何、どうかしたの?」

伊助が上げた声に皆が振り返る。なんだと問うと、こんなところに彼岸花が……、と火薬庫の横を指した。見れば確かに、鮮やかに紅い花弁。
不吉なもの見ちゃったと顔をしかめる伊助にタカ丸が、まぁあまり見ていて気持ちいいものじゃないけどそんな気にすることもないんじゃない、と苦笑して言うが、三郎次が、

「彼岸花を持って帰ると家が火事になるって俗説があるんですよ」
「ああ、だからか。火薬庫に火は厳禁、だもんね」

紅い色が火を思い起こさせるからかな、と立ち話をしている三人をよそにじっと花を見てなにか考えている様子だった久々知は、

「久々知先輩?―――彼岸花がどうかしたんですか?」
「んー?」

懐から取り出した手ぬぐいを巻き付けた指をひょいと伸ばし、真っ赤な花を摘み取ったのに皆びっくりし、

「「先輩!?」」
「兵助君、ひょっとしてその花、好きなの?」
「あー……」

プチプチと細い茎が容易く手折られてゆく。放射状に広がった花弁は一本一本は細いながらも大きく、紅く、たった数本でもかなりの存在感を有した。
俺じゃなくて、と口にしながら再び手を伸ばす。

「この花が好きなヤツ知ってるから」

さわ、と風に煽られて紅色が揺れた。




摘み取った花と水をいれた桶、帰り際に寄った食堂で分けてもらった湯を持って部屋の戸を開ける。室内には、

「思ったより早かったのぅ」
「ここのところたいした騒動もなかったから在庫確認が楽だった」

広げていた書物を片付ける、薄藤と錆桔梗の裾引きの着物を着てたっぷりとした髪を緩やかに結い上げた見慣れた女装姿のは、確かに、いつもこうであれば平和で良いのに、とくすりと笑う。

「おそらくそれは叶うまいがの」
「何かあったのか」
「学園長先生のところへ御来訪じゃ。それも、よく見知った顔が」
「それはそれは」

ならまた近々某かの騒動が起こるんだろうな、と。片方の眉を上げて諦めの意を表すると、

「ほら」
「………彼岸花?」
「お前好きだったろ」

手にした紅い花を渡してやる。火薬庫の横に咲いてた、と毒がある花であるために、生けるのに要るだろうと水の入った桶も一緒に渡してやり。
草の葉で束ねられただけの簡素な花束を受け取ると、間近で見ればなおも毒々しいまでに紅いそれをしげしげと眺め、そうかもうそんな時期であったか、とつぶやいた。




ぱしん、ぱしん、とはさみの軽い音が響く。
あれほどに大きく広がった花弁を支えているとは思えない細い茎は容易く折れて。切り落とした先を庭に放り、手近な花瓶に挿せばそれだけで部屋の一角が深紅に染まった。
開けた戸の前に花瓶を置くと、差し込む暮れかけの陽に照らされた彼岸花はなおいっそうその紅を深くする。
彼岸花を死人花だ、地獄花だと忌み嫌うほど信心深いつもりはないが、これほど紅いと確かに不気味に思えてくるもんだな、と久々知は一人つぶやいた。他にも同じ深紅の花はあるというのに不思議なものだが。

手を伸ばしちょいちょいと花の角度を直す。全てが終わると桶の水で手をすすぎ、縁側の外へその水を流した。乾いた地面が水に濡れ、微かな土ぼこりをあげて黒々と染まる。
それを横目で見つつ、その花を持って帰ろうと手折ってたら後輩たちに不吉ですよと怪訝なものを見るような目で見られた、と笑った。

茶櫃(ちゃびつ)の中から湯呑みと、急須を取り出し茶葉と湯を中に注ぐ。湯気に乗ってふわりと立ち昇る柔らかな香りはたちまち折った茎の緑味の強い香りと混ざり、深い緑の香りとなって届いた。
死人花で花見とはいささかあれかもしれないが、『忍術』というものを学んでいる自分達にはふさわしいのかもしれない、と心の中でだけ小さく笑う。



いくら、殺し合いが生業の武士とは違う、情報を操るのが我らの生業だ、と口にしたとて、自分達の行く末が争乱の最中であるのには間違いないのだ。

いつか深紅に染め上げられるのはこの手か、己が身か。
手厚く守られながらなにより死に一番近い場所へと赴く術を学ぶ、この不思議。
きっと自分達は忌み嫌われるこの花に緩やかに守られるような場所で死ぬことも出来ないのだろうと、嘲るでもなくただ口の中でだけ笑った。



湯呑みの片方を押しやり、もう一方をのんびりとすする。他より涼しい火薬庫で冷えた指先を温めるように湯呑みの温かさを確かめていると、

「―――この花が好きなのは私ではなく、私の兄様じゃ」
「……そうなのか?」

不意の言葉に首を傾げた。去年も一昨年も、この時期にはこの花を見ていたからてっきり、と思ったのだが。それにしても、

「変わった人だな、お前の兄さん」

その花をわざわざ手折ってきた自分が言うのもなんだが。
桜が好き、とか梅が好きとは訳が違う。素直に口にした久々知にも笑って、

「いささか変わったお方やもしれぬ。なにしろ、忌み花をわざわざ持ってきて庭に植えるようなお人だ」

その時の皆の慌てっぷりといったら、と思い出したのかククッと小さく笑い。

「懲りずに年々増やしてゆくものだから、終いには庭の一角が彼岸花だらけじゃ。その一面はまるで紅の敷物のように染まり、さわりさわりと風に揺れる様は圧巻であった。夕闇に浮かぶとまるで炎の揺らぎにも似ていての。ヒグラシの声を遠く聞きながらその中に立っていると、名のごとく彼岸にいるかのような心持ちであったぞ?」
「それはちょっと……」

シャレにならない、という久々知に、花の時期にはお題目を唱えながら手を合わせて駆け抜ける者の多かったこと、とひっそりとした笑いが湯呑みにこぼれ落ちる。

「信心深い人にとっちゃ狂気の沙汰だったろうな」
「なれど、の。兄様は笑っておっしゃるのだよ。不吉もなにもあるものか、と」



『こうして、いまを必死に生きようとするものに、不吉もなにもあるものか』
その花が血に染まったように紅かろうと。
たとえその身に毒を宿していようとも。
鮮やかに咲き誇るその花が決して実を結ぶことはなかろうとも。

知っているだろうか?彼岸花の発芽率は、実は思うより低いのだと。
芽を出すこともなくただ眠り続けるその球根の、多いことを。
自力ではその身の分布を遠く広げることの出来ないことを。



「ただあるだけのものにあれこれと言葉を述べて形を定めようとするのは、人の身勝手というものだよ、と。笑っておっしゃるゆえ」
「ふうん」

そこからは黙って、紅い花弁が頼りなく風に揺れるのをただ見ながら手にした茶をすすった。

どのくらいたった頃だろう。手にした湯呑みの中が空になったのに気付いた久々知は急須を手元に引き寄せながら、


「なんじゃ?」
「あのさ、」

同じく空になった湯呑みを受け取り、こぽこぽと湯を急須に注ぐ。




「お前が俺達に言ってないことがあるの、知ってるよ」




もらい湯が少し少なかったかもしれない。足りるかなと急須を覗き込んで。

「雷蔵も三郎もハチも知ってる。他の奴らは知らないだろうけど」

ま、いいか、足りなければまたもらってくればいいし、そう経たないうちに夕食も近い。
均等に半分になるように二つの湯呑みに茶を注ぐ。

「でも別にいいかとも思うし。それいったら俺もたぶん言ってないことあるから。なんでもかんでも知っとかなきゃ、ってこともないと思うし」

まだ出るよな、と蓋を開けて茶葉の開き具合を確認。もったいないから夕食後にでもまたいれようとそのまま蓋を戻した。

「だからさ」




「お前が話したいと思ったときに、言ってくれればいいから」
それまでだったらべつに待つよ。




ああそういえばこの間伊助を通してしんべヱからもらった秘蔵の唐菓子があるんだっけ、と思い出し、食べるか?と行李(こうり)に手を伸ばしたその背中に、こつんと軽い重み。
振り返らずとも分かる寄りかかった頭が、滑り落ちないように気を使いつつ行李の蓋を開ける。
金平糖に梅枝、伏兎。大事に仕舞っていた福富屋のおかげでありつける高価な菓子のいくつかを手にとって、

「あんまり食べ過ぎると夕食が入らなくなっておばちゃんに怒られるからな」
「幼子でもあるまいに。心配は無用じゃ」

くっついた頭を通して背中に伝わる小さな振動は、微かな笑い声。肩越しに菓子を差し出すとじんわり広がる体温が動いて、手の中の重みが消えた。





「……………いつか、な」

――――――きっとそう遠くない、いつの日にか。







茶櫃(ちゃびつ):急須や湯呑み、お茶の道具をいれておく蓋付きの深盆。旅館の部屋などで見かけるあれです。
梅枝(ばいし):米の粉を水で練って梅の枝の形を作り、ゆでて、揚げたもの。
伏兎(ぶと):小麦粉をこねて揚げたもの。ぶと饅頭として現代にも伝わる。が、いまのものは、伏兎の生地に卵を入れたドーナツのような生地で、餡を包んだ、餡ドーナツのような菓子。
彼岸花:別名、曼珠沙華・リコリス。全草有毒で特に鱗茎(球根)に多く含み、誤食すると吐き気や下痢に襲われ、死に至る場合もある。花茎の汁に触れると皮膚炎を起こす。有毒成分が水溶性のため長時間水にさらせば食用にも出来る。
田んぼのあぜ、墓場に虫や動物避けに植えられることが多い。晩夏から初秋に花茎のみが葉の無い状態で生え、開花する。開花後は葉が出るが、春には葉が枯れ、秋近くなるまで地表にはなにも生えない。
日本に存在する彼岸花は全て遺伝子的に同一であり、雄株・雌株の区別が無く種子で増えることが出来ない。球根の株分けで増える。発芽率は低く、球根10〜15球当り1〜2本程度。
日本では不吉だとされ、死人花、地獄花、幽霊花、狐花、などとも呼ばれる。欧米では園芸品種として人気。
花言葉は『悲しい思い出』『想うはあなた一人』『また会う日を楽しみに』


五年生の皆と仲の良いですが、同室のよしみとでもいいましょうか。
『鉢屋三郎』にとって『不破雷蔵』がとりわけ特別であるように、
一番気を許している相手は久々知です。
久々知自身もそれを知っています。その上で自身にも言わないのならば
いまはまだ聞くべき時ではないのだ、と理解して、問うことはしません。

子荻の勝手なイメージですが、なにかあったら力づくで聞き出してでも力になるのが六年生、
分かっていても言い出すまで待つのが五年生、と思っています。


秋の風に誘われて、ちょっとシリアスでした。








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