幕間のひと 【七章】 愛でられてこそ華
落ち着いた色味の着物。
やや濃いおしろいに、深みのある濃い赤の紅は下唇を強調して目を引き。
広めに抜いた衿からはうなじと襦袢がちらりと見える。
着物の上からも柔らかさが想像出来る胸や腰のラインは、年とともに色気を重ね、線が崩れる一歩手前の肉感的な肢体。
ほんのりとにじんだような疲れた色が、日々の単調な生活に膿んだような、どことなく誘うような出で立ちの『熟女』が。
その顔に似合わない驚きの表情を浮かべてこちらを見返していた。
「………………誰だ、これ…」
鏡を覗き込み呆然とつぶやく文次郎を、満足げに見やる。
「どうだ、これなら文句ねェだろ」
「ああ………………化けるもんだな…」
化けた文次郎。略してバケモン。
横であっけに取られたままの仙蔵がつぶやいた言葉にすらいつものように反応することなく、呆然と、ただ呆然と鏡の中の自分を覗き込んでいた文次郎は、さてという声にようやく我に返った。
「じゃあ、」
「ああ、では、」
そろそろ実習におもむこうか、と手伝ってくれたことへの謝辞を述べて立とうとして、
「じゃあ本題に入るか」
「は?」
その言葉にぱちくりと目を瞬いた。
え?いやだって、これで完成だろう?
皆の言葉にならない思いを察したは眉間にしわを寄せ、
「なに言ってんだ、大事なのはこっから先だろうが」
「え?だってもう十分女の人に見えるし……これ以上どうするの?」
まじまじと女装した文次郎の顔を覗き込む伊作に、そうじゃねェ、と。
「見かけの話じゃねェよ。立ち居振る舞いだ」
論ずるよりとぽかんとしている文次郎を立たせるとあっちからこっちまで歩いてみろと部屋の端を指差す。わけも分からず言われるまま、とりあえず歩き終わると、
「いまの見て女らしいなァと思ったやつ、挙手」
「………」
目を見合わせるがいっこうに手を挙げる気配のない一同にほれ見ろと皮肉げに笑った。
「突然歩かされたんだ、仕方あるまい!仕草を見たいならそう言えばもうちょっとそれらしく歩いたものを、」
「確かに仕草はあれだけど顔とか見た目は女の人に見えるんだから、これでもう十分なんじゃない?」
文次郎と小平太からそろってあげられた抗議と疑問の声に、カッと目を見開き一喝。
「前もって言われなきゃ出来ねェようなヤツが実戦ではとっさの対応だってバッチリだなんて夢物語みたいなことあるわきゃねェだろボケ!それとどんだけ顔を作り込もうが町を歩きゃ半分の人間は後ろ姿しか見えんわ阿呆っ!」
(ああせっかく穏やかになりかけてたのにまた恐い顔に逆戻りぃ〜)
割をくらうのはいつだって僕なんだからと半泣きの伊作が恨みがましい視線を送るが真正面から怒りのまなざしをくらった二人は当然それどころではなく。
先ほどの恐怖がよみがえり思わずぴょんと正座した文次郎を見やると、
「とりあえず、立て」
間髪いれず直立不動の姿勢をとった人物の方が年上だなんてまるで嘘のような従いっぷり。思わず留三郎ですら同情しそういなった。
「まず、どうしようもねェことだが男である以上女に比べて上背がある。それを誤摩化すために、」
ぴしっと文次郎の足を指差し、一言。
「膝を落とせ」
「外から見てもわからねェように着物の中で膝曲げて、中腰になることで背を小さく見せる。もちろん歩く時もそのままだ」
「あ、なるほど、だからわざと裾を短くして帯も高く締めたんだね?」
「それと同時に肩を落とす。頭の位置はそのまま、肩だけ落とすとなで肩になって華奢に見えるし首に長さが出るから比率として細くなったような印象を与えるからな」
そう言って、試しにやってみろと。
もうちょい膝を落として、そこまでいくと曲げ過ぎだ、背は伸ばしたまま、と周囲を回って指摘して回るが頼まれたとはいえ自分のことではないのに親身になって(いささか行き過ぎではあるが)くれているのには感謝するのだが……感謝、するのだが……。
あまりに慣れないことをやいのやいのと言われたせいで混乱しきった文次郎はついため息を吐き、
「…………面倒臭ぇ」
思わず自分の口からぽろりと漏れた声に慌てて口を塞ぐも既遅し。
びゅうと幻想の音たてて渦巻く怒りの冷気に、恐ろしくて振り返ることが出来ない。
笑っている……っ、見なくとも分かる、これは絶対にあの恐怖しか感じさせない笑顔で笑っている……!
恐怖に震える心を押し込めて恐る恐る、いやいまのはだなと弁明しようと振り返った文次郎は見てはいけないものを見てしまった……気がした。
強ばるその肩にひたりと細く白い手を置いた人物は華もかくやと微笑んで。
「つまりは、手加減はいらねェ、ってことだよな?」
その日、六年長屋にほど近い五年長屋でそれを耳にした彼の人の友人達は。
これから先たとえ何があって追いつめられた事態に立たされたとしても決して、女装の課題に関して彼の協力は望むまい、と心に誓ったという。
「肩だ、かーたーをーおーとーせ、と言っただろうがテメェのは首を伸ばしてるっていうんだっ背中を丸めるなァ!だからといって誰が胸張れっつった!?膝が伸びてきてる!つま先を外に向けるな、がに股で歩く女に声かける物好きがいると思ってんのか、歩幅がデカイ!小股ですり足気味!お武家さんじゃあるまいし、ンな背中に定規の入ったみてェに突っ立つヤツがあるかデカイ胸付いてんだから自然と軽く前に意識がいく、膝が伸びてる!眉間にシワを寄せるな口元引きつらせるな視線は伏し目がちでほんのり笑顔!動きは全てにおいて心持ちゆっくり!だぁっから膝を落とせと言ってンだろうがっ!!」
うっし。まあギリ及第点ってとこだな。
ようやくそう合格をもらえて一息つけたのはそれからたっぷり半刻以上はたってのことだった。
ぐったり、という効果音ですら足りないほど憔悴しきった文次郎に投げ掛けられる同情の視線は生暖かく思わず目頭が熱くなりそう。涙もろいのは年の証拠、などと思われているとは知らぬ文次郎はつかの間の友情を噛み締めた。
そしてさすがにそこまで頑張ったかいあって、その立ち居振る舞いにはいままでとは違う『女らしさ』というものが垣間見えた。
文机に寄りかかってため息をつく姿は、退屈に疲れたような膿んだような気怠い色合いが特有の色香を感じさせて心の琴線をくすぐる、と言えないこともない。
実際はただ女装の特訓で心身共に擦り切れただけなのだが。
膝を曲げたまま違和感なく歩く訓練のせいでかいささか頼りなくなった足取りもちょうど手を差し伸べる口実にいいかもしれない。
普段、鍛錬鍛錬とやかましいくせにたかがその程度でと思われる方は一度試してみていただきたい。翌日は確実に筋肉痛になれること請け合いである。
ついでだと同じ特訓を強いられた小平太となぜか巻き込まれた伊作とそろってぐったりと(特に精神的に)伸びきっている姿を一人ひょうひょうと見下ろすは、とりあえずの及第点に達したことで気が晴れたのかさっぱりした顔で、じゃあまぁ後は個人の努力次第で、と締めくくった。
あまり時間の余裕があるわけでもないがもう少しだけ休んでから、と思っていたところに
「言い忘れたけど、その化粧そんなに長くはもたねェから」
まあいわば無理矢理取り繕ったようなもんだし。急いでいってらっしゃい、とにこやかに手を振られた六人はバタバタと慌ただしく町に向かっていった。
実習の内状は割愛する。結果だけを言うと上々だった。
聞いて聞いて、あのねーと走り寄ってきた小平太が買ってもらった団子を、いまだちょっとビクついている伊作がいれた茶と共にいただきつつ。化粧も落としてすっかり元通りになった一同は、
「私も長次も、言われた通りにしたらすんなり買ってもらえてさ。すぐに合格がもらえたんだ!」
「………早かった」
「んでね、なんと文次郎は、」
ジャジャーン!と声付きで指された文次郎はなんだよとかいって眉をひそめたふりをしつつもこっそり嬉しそうで。
「実は、二人にも声かけられてたんだよ!あの文次郎が!」
「かんざしと、手鏡をもらった」
俺はこんなもん使わんからな、お前にやる。礼だ、とポイとに投げてよこしたその横顔はほんのり赤く染まっていて、それを目にした仙蔵は、おお、気持ち悪い、と心の中で身震いした。
「それもこれもみんなのおかげだ!ありがとうな!」
ニカッと笑う小平太の向かいで、いやいやお役に立てたんなら幸いで、とのんびり茶をすするはすっかり落ち着いていて、数刻前の姿がまるで嘘のよう。言葉遣いもいつもの多少砕けてはいるがある程度の礼儀はわきまえた物言いに戻っていて―――
………珍しいものを見た、という事にしておこう……
六人は、全てを記憶の奥底に深く深く埋めることにした。
「それにしても、少し策を弄しただけでああもホイホイ引っかかってくるとは……」
こちらとしてはありがたいが、なんとも男とは単純なものか、という気がしてくるよ。
苦笑して団子に手を伸ばす留三郎の言葉に、皆も同じように笑いが落ちた。
「くのいち教室の女の子達が言うのにも反論出来ないよね、これじゃ」
「気付かれたらそれはそれで困るが………それにしても、だな」
「あ、でも物は考えようというだろ。少なくともこれで私達はこの手には引っかからないわけだし!」
「ま、さすがに」
「裏が分かっていればな」
「元々そんな手に引っかかるほど警戒心がないわけでもないが」
口々に己は大丈夫、見え透いた手にはそうそう引っかからないと自信たっぷりに笑顔でうなづき合う六年生の中。最後の団子にかぶりついたが顔をあげ、
「なに言ってんすか。分かってても引っかかるのが、男ですよ」
((((((……………名言だ!……))))))
裏を知りつつでも喜ぶのならとわざと引っかかってやるのが、というのと、
仕組みを理解して警戒していてもついつい本能に負けて…、という両方の意味で、
引っかかるのが男ってもんですよ!(笑)
アニメ版文次郎の顔を想像すると、『……女装は無理じゃね?』とか思ったりしますが………
そこはそれ、三郎があれだけ違う顔にそっくりに変装出来るのだから、
その技術を応用すればきっと文次郎だって……!たぶん!おそらく!!(笑)
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