幸いなるかな、勘違い
〜幸運も不運も思いがけず降ってくるものです〜



「えええーっ、乱太郎もダメなのかよー!?」

そんなぁ、と落胆を隠さないきり丸の声が休日で人気のない長屋の中庭に響く。

「うん…ごめんね?学園長先生のお使いで、金楽寺まで一走り行ってきて欲しいって。たぶん帰りは夕方になっちゃうと思う。あ、しんべエは?」
「喜三太と委員会の先輩達と一緒に町に行った」
「そっかー。手伝ってあげたかったんだけど…」
「お使いならしかたねーって」

すまなそうな顔で振り返り振り返り歩いてゆく乱太郎を門のところで見送りつつ、きり丸はこっそりため息をついた。
は組にしては珍しく何のトラブルもなく迎えられたせっかくの完全休日。
久しぶりに実入りのいいバイトも入って、二人に手伝ってもらおうとほくほくしていたのに、その二人はいない。


「さ、て。……どうすっかな」

振り返りきる前に視界に入ってきたむくむくとした物に思わず顔が引きつる。
いつもは手伝ってくれる二人を当てにしてもう請け負ってきてしまったバイトは、犬の預かり。

ただしーー大型犬の。
しかも、三頭も。
更にいうならそのうち一頭は子牛のように大きかった。

早速ごろごろとじゃれあっている三頭の迫力に後込みしつつ、必死に考えた。
誰か手伝ってくれそうな人、手伝ってくれそうな人……。
もはやこれを一人で面倒見るという選択肢はきり丸の頭にはこれっぽっちもなかった。
だって、無理だこれ。
下手すりゃ圧死確実の巨体にうんうん唸って、

「そーだ、土井先生に頼もう!」

ピコーン、と思い付いた教師の姿を求めて走り出す。
そうだそうだ、土井先生ならきっと平気!俺って頭いい〜とうかれてやってきたのに。



「えええー、無理っすかー!?」
「悪いな、きり丸」

立て込んでて手が放せないんだよ、とすまなそうに笑った顔はよく見ればなんだかげっそりしているし。
顎の下まで積み上げた書類を支える手はこっそり胃のあたりを押さえているのが分かったから、もっといいたい言葉をぐっと飲み込んだ。

「いつもの二人はどうしたんだ?」
「乱太郎はお使いでしんべエはお出かけっす」
「そうか、それは困ったなあ」

んー、と少し思案顔の後、ああそうだ、と顔を輝かせて、

「それなら、あいつに手伝ってもらったらどうだ?」
「あいつって、誰のことっすか?」
「ああ、きり丸は知らないのか。ほら、四年生の、」
「土井先生―っ!あんた何さぼってるんですか!」
「はっ、はーい、すぐ行きます!」
「あっ、先生待って!」

悪いな、とひとこと言ったかと思うとさっと駆けて行ってしまった後ろ姿に伸ばした手が空しくぱたりと落ちた。
結局、あいつって誰のことだったんだろう。四年生ということしか分からなかった。

四年生といったらまず思い出すのは滝夜叉丸と三木エ門だが、彼等に頼ると何か問題が発生しそうな気がひしひしとするから却下。
タカ丸が動物の扱いが上手いなんて聞いた覚えはないしなにより彼の手は大事な商売道具だ。何かあってはまずいだろう。
綾部は…まず、彼を考慮の対象に入れること自体間違ってる気がする。全て、おやまぁ、で済まされそうだ。

「……それ以前に今日って休日なんだけど、その人学園にいるのかなぁ」

そんなことに気を取られていたのがまずかったのか。

「うわっ!?」

不意に視界ががくんと落ちてぐるりと回って、背中とお尻に衝撃と鈍い痛みが走り抜ける。
ああ落とし穴に落ちたのか、と分かったときには深い穴の底だった。しかも、

「あああああーっ」

落ちた拍子に放してしまったのか、さっきまで犬の綱を握っていた手の中は空で、穴の上からはざかざかと走り回る足音がする。
慌てて穴から這い出てあたりを見回してみるも、さっきまでそこにいたはずの犬達の姿はかけらもない。

さぁっ、と血の気が引いてゆくのが分かる。
きり丸はもう泣きたい思いだった。

どうしよう、もしこのまま見つからなかったら…預かりものなのに!
息を切らせて必死に捜しまわるのにちっとも見つからなくて。
もしかして学園の外まで行ってしまったんだろうか?だとしたら大変だ!
そうだ、小松田さんを探して、と立ち止まった先、庭の隅っこの方に何か見えたような気がして目をこらすと、なんか見覚えのある毛むくじゃらが。

そしてその中から一房ぴょこんと飛び出しているのはーーーー人の髪…?



これ以上はない、と思っていた血の気がざっと音を立てて引いていった。

人が、埋まっている。
人が、襲われてる。
あの巨体に!


「こらっお前達止めろ!だっ、大丈夫で、す…か……?」

転がるように駆け寄ったきり丸の目の前、犬に埋もれていた髪がさわと揺れたかと思うと、よいしょ、と雰囲気にそぐわぬやけに軽い声と共に、ぴょこんと顔が飛び出した。
毛皮の中にちょこんと鎮座した顔はにこにこ笑いながら、

「君の犬?可愛いねー」

なんて言うものだから。

「………っ」
「え…え、えー?」
みっともなくも、思わずどっと涙があふれてしまった。




安心した拍子に泣き出したきり丸に吃驚した様子のその人は、けれどにっこり笑って。
ようやく泣き止んで顔を真っ赤に染めたきり丸に手ぬぐいを貸してくれた。
幼子のような醜態が恥ずかしくて手ぬぐいで顔を隠しつついままでのことを話すと、どうやら先輩らしい(体格から察するに三、四年くらいだろうか?見たことのない顔だけれど小松田さんが走ってこないということは学園の人であるのは間違いないだろうし)その人はしみじみと、それは大変だったねぇ、とうなずいた後、ぽんと手を叩き、言った。

「よし、私でよければ手伝うよ!」
「え………いいんすか?」
「あ、いま、頼り無いなって思ったな?」

でも私これでも犬に好かれやすいんだから、と傾いだ頭を見る限りどうやら胸を張ったらしい先輩は、首から上以外はすっぽり三頭の犬に埋まった生首状態で。
きり丸はようよう、

「………そうでしょうねぇ、よく分かりますよ…」

とだけ言った。



出会いが出会いだっただけに一抹の不安を拭えないきり丸だったが、本人の言う通り犬達は先輩によく懐いてーーーというか懐き過ぎるくらいで。
犬に埋まった先輩の横でひなたぼっこよろしく寝っ転がったまま、なんて楽なバイトだ…と思う。
暑くないんすか? そうだねぇ、だけど夏に我慢大会したときほどじゃあないかな。 …そんなことしてたんすか? どうしてだかいつの間にかそんな話にね?思いがけず三途の川を渡りかけるはめになったよー そぉっすか…、なんて。
つらつらと話しながら雲の数でも数えていると、一番大きな犬がのそりと起き上がった。

「あれ、散歩に行きたいのかな?」
「ああ、シルバー号は一日に五十キロ走るらしいっすから」
「元気なのは良いことだね。でも困ったなぁ、残り二頭はまだ寝ていたいみたいだ」

起こすのは可哀想だし、でも置いてはいけないし、と呟きながらぐるりとあたりを見回したかと思うと、飼い主から預かった犬のおもちゃ袋をあさり始めた。

「なにするんすか?」
「んー、ほら、あれ」

骨の形をしたおもちゃを取り出し、それで指す先には、休日にもかかわらず全員集合して裏山までのダッシュを繰り返しているらしい、ちょっとへろへろしてきている体育委員会の面々。
その中でひときわへばっているというか既に魂の出かかっている級友の姿を見つけて、きり丸は自然と頬が引きつるのを感じた。
ほんっと、俺図書で良かった…!
そんな思いをしみじみ噛み締めていることなど知らぬ先輩は肩をぐるりと回すと、体育委員会の方に向かって、

「滝ー!」

一声呼ばった。
土まみれになった滝夜叉丸が顔を上げ、口を開こうとしたところに白いなにかが飛んでくる。
とっさに手を出し、受け止めると、

「……骨?」
「シルバー号、ゴー!」

びしいっ、と滝夜叉丸を指し、一声。
かけ声に弾かれたように犬が走り出した。
子牛ほどもあろうかと思う大犬が。全速力で。滝夜叉丸めがけて。

「ひぃぃいいいいっ!?」

恐怖のほどはおして知るべし。

とっさのことで骨をぎゅっと握りしめ、隣で疲労困ぱいのあまり意識の遠くなっていた金吾をなぜか小わきに抱えて滝夜叉丸は走り出した。
素晴らしいスピードだ。とても十歳の子供を一人抱えているとは思えない。
その走りっぷりになにを思ったのか、おっ、まだまだやる気だな、よしいけいけどんどーん!と叫んで走ってゆく小平太。
追う大犬。そして意識を遠のかせつつも健気に走り出す二年・三年。にこにこ笑って見送る先輩。

あまりの光景にきり丸は言葉を失った。

「気がすむまで走ったら戻ってくるよ」
(それって犬のこと?それとも七松先輩のこと!?)

一瞬、この人滝夜叉丸によっぽどの恨みでもあるんだろうか、と疑ったが、凄かったね!一年生抱えて走るなんて滝って力持ちだねぇ、と笑う顔がとても無邪気だから。
悪意が無いぶん鬼よりヒデェ、と思いつつきり丸は、

「…………そっすね…」

とだけ言った。




カァカァと鳴くカラスの声も遠くなろうかという頃、体育委員会は戻ってきた。
その姿は筆舌尽くし難いほどに酷かった…とのちに乱太郎に語った時きり丸は遠い目をした。

「良い犬だな!お前のか?」
「いいえ、お預かりしているだけなんです」
「そっかー、残念!よく走るし速いしで、毎日一緒に走ったらさぞ良い足腰の鍛練になるだろうと思ったんだけどな。うーん、でも良い犬だなぁ。なにが良いって、この大きさが良い!」
「ですねぇ」
「いいな、私も欲しいなこんな犬。そうだ鍛練のためと言ったら学園で買ってくれないかな?」
「良い案ですね、聞いてみたらどうですか?」
「うん、そうだな!文次郎に犬の購入費をくれと言ってみよう!」
「買ってもらえるといいですねぇ」

ふふふ、あはは、と二人の笑い声だけが屍と化したものたちの頭上を通り過ぎた。

ひとしきり笑い合った後、魂のぬけた滝夜叉丸を担いで笑う何故かまだ独り元気な小平太の、肩の上の滝夜叉丸の手からおもちゃを返してもらい (屍達を背後にして、はい!と笑顔で返してよこした先輩を、小平太属性だときり丸は思った)暗くなる前に、と急いで犬を飼い主の元へ返しに行く。

先輩の名前を聞いていなかったことを思い出したのはその帰り道だった。




乱太郎としんべエも帰ってきて、いつもの通り三人で取る夕食の最中。
ときおり遠い目をしつつ今日の出来事を楽し気に話すきり丸に、私もその先輩に会ってみたいな、と乱太郎が言った。

「なんていう先輩なの?」
「それがなー、名前聞きそびれちゃって」
「じゃあ、何年生?」
「それも分からないんだ。体格からいったら三、四年かなぁ。装束じゃなかったから学年分かんなくて。あ、でも滝夜叉丸のこと『滝』って呼んでたから四年生かも」

誰か分からないんじゃお礼言えないねと言ったしんべエに、

「でも、きっとすぐ見つけられると思うんだ」

自信満々に言うものだから、よっぽど変わった外見の人だったのかしら、と二人は首を傾げた。

(だって、理不尽な目にあってる滝夜叉丸を辿っていけばきっとすぐに七松先輩とあの先輩に辿り着くと思うんだ!)

その考えが間違いではなかったと知るのは、もう少しだけ、先のこと。





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