青い空。白い雲。
眠りを誘う麗らかな日ざし。
ゆったりと流れる穏やかな時間の中。
声変わりもまだまだ先な少年達の高い声が、今日も今日とて元気に忍術学園に響き渡る。
「毒虫達が逃げたぞー!」
と。
幸いなるかな、勘違い
〜いろいろありますが、今日もみんな元気です〜
ずずり、とお茶を啜り、ほぅとため息を一つ。
「平和だねぇ」
うむ、出がらしのお茶もなかなか。
と悦に入っていると横からつくつく痛い視線が突き刺さってくるものだから、振り返ってなあに?と問えば、そこには何故か半眼の三木エ門が。
「……平和だね、じゃあないだろうが」
じとりとこちらを見据えていた。
あれ、珍しい。平素ならユリコの手入れ中に手を止めることはおろか人の話なぞ右から左へ、だというのに。
明日は雨かしら?などと思われているとは知らない三木エ門は、何をそんな呑気に、と怒っている。
「毒虫が逃げたって声が聞こえただろう。なのになにが平和だ」
「だって、毒虫が逃げるのは何も今日に限ってのことじゃないでしょう?いつもと同じってことは、平和ってことでしょうに」
「…屁理屈はいいからさっさと行って捕まえてこい。お前は生物委員会だろうが」
「確かにそうだけれど、気が進まないんだよ。だって私、毒虫は不得手なのだもの」
不得手、というのがこの場合苦手、という意味ではないとよく知っている三木エ門は、湯呑みを覗き込んでため息をつくに呆れた視線を送った。
「虫相手だと私の出番が無い…」
「仕事の選り好みをするな。たとえ役には立たずとも皆と一緒に虫網抱えて走るくらいはしろ」
「虫達がもう少し大きかったらよかったのに」
その言葉に、三木エ門はこれ以上ないくらい非常に嫌な顔をした。
「お前の求めている大きさになった虫は嫌だ」
「そんなに大きくなくていいんだよ、バレーボールくらいあれば」
「十二分すぎる程だ。いいからグダグダ言わずさっさと行け、上級生がさぼっていては下級生に示しがつかないだろうが」
「………三木、最近潮江先輩に似てきたね」
「なっ!失礼なことを言うな!」
「失礼なのは三木の方だよ、潮江先輩に対して」
「話を振ったのはお前の方だろうが!ーーーっていうか何だそれはー!!」
「え?」
いいかげん腹にすえかねました、とついに立ち上がって叫んだ三木エ門の指差す先、自分の膝の上の物体と、きょとりと顔を見合わせる。
ふくふくの毛皮。お煎餅のような焦茶色。ぽっこりとしたお腹。小さなお耳。くるんと丸いしっぽ。
どっからどう見てもまごうかたなき、
「たぬきさんだけど?」
膝の上の小さなたぬきと同じ角度で、なに言ってんのさ三木ったらーと首を傾げるに、だけど?じゃないだろなんでたぬきがここに!?と声を荒げた。
その様子を不思議そうに見ていただが、もう一度膝の上のたぬきに目をやるとはっとして、
「そうか、そうだよね、物事は正しくだよね」
「そうだそうだ……って、え?」
「子だぬきさんだけど?」
これでオッケーとにっこり首を傾げる。
お使いに来てくれたんだよ、偉いよねーと嬉しそうにたぬきと笑いあう姿にいいかげん焦れたのか、無言でぽいっと縁側から放り出されてしまった。
「酷いや」
「酷くない。早くしないと善法寺先輩あたりが不運にも刺されるぞ」
「うーん、それは困る」
ばいばい、と森に帰ってゆく子だぬきに手を振って、ようやく重い腰を上げた。
「一平、孫次郎、虎若」
「あ、先輩っ」
「毒虫が逃げたんだって?」
そうなんです、としょぼんとする頭を一つずつ撫でてあげる。
虫達に餌をやってたんですけど、一匹がこっちに飛んで来たんで逃げないようにと慌てて扉を閉めたら、ちょうど出ようとしていた孫次郎が挟まっちゃって」
「あらら」
「慌てて開けたすきに逃げられちゃったんです…」
「それは災難だったね。とりあえず孫次郎は保健室だ。ほら、手に傷がついてしまってるよ、善法寺先輩に見てもらってきなさい」
赤く擦れた手を押さえる孫次郎を送りだし、今回は何が逃げたの?と聞くと、
「ほとんどは捕まえたんですけど、後はジュンイチと、」
「虎若っ、これジュンイチ!捕まえたよ…って、あ、先輩」
「三治郎、ご苦労様」
「えーっとジュンイチが捕まったんで後は…ネネだけです」
「あ、だからか」
なるほど、とぽんっと手を打つのに、何がですが?と聞くと、身をかがめニコリと嬉しそうに人差し指を振った。
「うん、ここに来るとき保健室の側を通ったんだけどね、」
「はい」
「薬草園に見たことあるものがあるなーって思って気になってたんだけど」
あれ、ネネだ。
『わーっ!?』
嬉しそうに言った言葉と、遠くから聞こえてきた孫次郎の悲鳴が重なった。
とたん、虫とり網を持ってばひゅんと走ってゆく三治郎。
吃驚した顔で見送る。
「凄いや、三治郎は働き者だね。きっといいお婿さんになると思わない?」
笑って振り返る先輩に残された一年生は、もっと早く言ってくださいとか感心するとことはそこですかとか色々突っ込みたい思いを心の中で三度繰り返して飲み込んだ。
この人に何を言っても無駄、とはこの委員会に入って最初に学ぶ事柄の一つだ。
諦めはまだ、つかないけれど。
捕獲完了、ののろしを上げ、集まった面々にねぎらいの言葉をかけてゆく。
「今回はわりと早くに捕まりましたね」
「そうだな、いつもこうだといいのにな」
「それ以前に逃げないといいんですけどね」
そりゃそうだ、と笑い合う竹谷と。
「あ、そうだ、忘れてました。これ」
「なんだ?果物か。旨そうだな」
「走り回ってのども乾いたでしょうから、どうぞ」
みんなも、はい、と差し出されたつやつやと光る果実に一年生は喜んで飛びついた。
片手に納まる位のそれは真っ赤に熟して、とても美味しそうだ。
堪えきれずにかぶりつけば、瑞々しくてとても甘い。
「どうしたんだ、これ」
「もらったんです」
「誰に?」
にっこり笑って。
「子だぬきさんに」
「ほら、先輩以前にたぬきさん助けたじゃないですか」
「あー、実習の途中で拾ったやつな、覚えてる覚えてる」
「どうやらそこの家の子らしいですよ。可愛らしい子だぬきさんでねー。さしずめ初めてのお使いってとこでしょうか?」
「ほー、それはそれは。いやぁ、人助けはしとくもんだなー」
「そうですねー」
「ほんとになー」
にこにこ笑って果物にかじり付き、うん旨い!なんて言っている上級生二人を遠いまなざしで見つつ、
「たぬきの恩返しって、童話かよ!とかって突っ込んだらいいのかな」
「いや、それ以前にたぬきは人じゃないから人助けではないよ!って突っ込んだ方が良いんじゃないかな」
「むしろ、あんた実習中に何してんだよ!ってとこに突っ込むべきだろう」
言っても無駄なんだろうけれどね、と思いつつこっそり言い合っていたが、食べないのー?と笑顔で聞かれて、実にかじり付いて凄く美味しいです、なんて言ってるあたり、自分達も相当毒されてきたな、なんて苦笑いを噛み殺した。
「そういえば、これ何ていう実なんですか?」
「え、知らない。私も初めて見たんだよねー」
「!!?」
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