幕間のひと 【弐章】 今日から迷子
「いえ、別に……」
「別に、って顔じゃねェだろうが。何かあったんだろ、言ってみな。相談くらいになら、乗ってやれるから」
からりと笑ってガシガシ撫でてくれる手に大きくため息をついて、
「……一年ボーズらのこと、慰めといてやってくれますか?」
「うん?」
「や、……さっきちょっとあって。八つ当たりみたいなもんなんすけど、怒ったような形になっちまったもんだから、今頃落ち込んでんだろーなと思って。なんで、後で慰めといてやってくれますか?」
そう言ったらなぜか食満は、注意するのではなく嬉しそうに笑って撫でる手の力を強めた。
「作兵衛は優しいなぁ」
力が強すぎるせいでぐらぐらと揺れる視界の中、いや優しかったらそもそもこんな頼み事するような事態には陥っていないんじゃないかと作兵衛が思っているところへ、
「富松せんぱーい」
当の一年生達が駆けて来た。
ちょっと離れたところで立ち止まり、俯いて地面を見つめたまま、
「あのぅ……さっきはごめんなさい」
「…ごめんなさい」
しょぼん、とした声。
なぜか笑ったままの食満にほら、と背中を押されて一歩前に出る。
なんと言ったらいいのか困ってしまって、ポリ、と一つ頬をかいた。
「あー、いや……こっちこそ悪かったな。さっきのことは気にすんな」
「次からはお話ししないで作業するようにしますぅ」
「………いや、その話じゃねえ」
そんな、いつもすぎることで怒っていると思われていたのか、オレは怒りんぼうキャラか、潮江先輩とおんなじか?
とちょっと心の中で落ち込んでいると、うかがうように喜三太が視線だけを上げて、
「じゃあー、なんで怒ってたんですか?あ、あんなこと聞いたからですかぁー?」
「あんなこと?って、なんだ?」
「ええっと、先輩の噂を聞いたんです。だから本当ですかぁー?って」
の噂、で食満はすぐに数年前の話を思い出したらしい。
呆れたような顔で、まだあれ出まわってんのか、と言った。
「いや、あれじゃなくって別なのなんすけど…すみません、オレがなんかあのときのこと思い出しちまって」
「そっか。あんときゃ作兵衛怒ってたもんなー」
てっきり、いまさら、と呆れられると思ってたのになぜか嬉しそうに笑って、ありがとうな、ともう一つ頭を撫でた。
一年生の前で子供のように頭を撫でられるのがなんだか気恥ずかしくて、つい大きな声で、
「なっ、なんで食満先輩がお礼言うんですか!」
「お?あー、そういやそうだな」
「あのぅ、もう怒ってないんですかぁー?」
おそるおそる、といった声に、はっとその存在を思い出した。
食満は一年生の顔と高さを合わせるように腰を落とすと、
「元々お前らに怒ったんじゃないんだ、気にしなくていいんだぞ」
「じゃあ、なんで怒ったんですかぁー?」
そう聞かれて、どう言ったものかとしばし考えた後、
「ずっと前に、な。があんまりすごいからって嫉妬して、『あいつがよく学園にいないのは暗殺の忍務を請け負っているからに違いないぜ』って口からでまかせ流したやつがいてな。作兵衛はそいつのことを怒ってたんだよ」
「そんなっ、先輩はそんなことしてませんっ!!」
あまりのしんべエの剣幕に、むしろあっけに取られた。顔を真っ赤に染めたしんべエは明らかに、さっきの作兵衛よりも怒っている。
「あ、ああ、もちろん皆、そんなの嘘だって知ってるさ」
「当たり前ですよぅ。ね、平太」
喜三太も、隣でこくこくうなづく平太も、みじんも疑っていない。
真っすぐ向けられるその信頼に、食満も作兵衛も嬉しくなった。
しかし、
「そうですよっ、先輩は女装して利吉さんのお手伝いしてるんですからっ」
しんべエの言葉に作兵衛はぴしりと固まった。
こいつらは……さっきといい、どっからそんな突拍子もない話が出てくるんだ、と痛みだしそうな頭を抱えて、あのなしんべエ、と言って聞かせようとしたとき、
「よく知ってるなぁ」
へぇ、誰に聞いたんだ?と食満が笑ったので、作兵衛は再び固まった。
え?いまなんて言いました?
「この間、お使いに行った先で破落戸に襲われたときに助けてもらったんです。そのとき先輩、女の人の格好してて、その後お礼言いにいったとき、教えてもらいましたー。だからよくいないんだよ、って」
すっごく綺麗でしたー、と嬉しそうに報告する姿に、作兵衛は、自分の耳は突然難聴にでもなったのかな、と惚けた頭で思った。
「…………は?」
「あれ、作兵衛、知らなかったか?」
なんでそんな不思議そうな顔してんすか、食満先輩。
「え……あの、それ、冗談とかじゃないんっすか?」
「いや、マジマジ」
あれー、お前会ったことなかったっけ?と首を傾げる食満。
いやいやそんな、なにを当たり前のことみたいに。
だって先輩だぞ?
たしかにごつくはないけど、どう見たって男の人だぞ。
オレ、あの人が柱用の木材を一人でかついでんの見たことあるんだぞ。
……………ないない。
それはないって。
「女装って…伝子さんじゃないんですから」
「いや、のはちゃんと普通に見られる女装だから」
さりげなく伝子さんをおとしめつつ、
「…立花先輩みたいなのですか?」
「つーか、」
ううん、と首をひねった食満は衝撃的な発言をした。
「仙蔵より似合ってっかな」
「あのねー、いい匂いもしました」
えへへー、と笑うしんべエ。
あまりにも作兵衛がすごい顔をしていたのか、食満が苦笑しつつ、あのな、ちゃんと出来てさえいればけっこう利用価値は高いんだぞ、女装は、と言った。
「学園への依頼にもけっこうあんだよ。女の一人旅だから護衛を頼みたい、でも知人に見られてあらぬ噂が立つのは避けたいから女の人をよこしてくれ、みたいなのが」
「先輩も、良い点がいっぱいあるんだって教えてくれたんですけどー」
忘れちゃいましたー!としんべエ。
そこは忘れたら駄目だろう!
それでも、平素のの姿を思うと、それが女装した姿が皆の言うように綺麗だとは思い浮かばないのかしきりに首をひねる作兵衛の様子に、そりゃそうだよなぁ、と食満は心の中で納得する。
まぎれもない男が女装が得意だ、なんて、本来こういう反応が普通なんだ。
自分たちはちょっと毒されすぎていたのかもしれない。伝子さんとか伝子さんとか、仙蔵に。
想像が辛くなってきたのかついには声に出してウンウンうなっているのを見て、どうせそのうち実際目にすることもあるだろうしーーーお手伝いの最中に出会わなくったって、どうせきっと学園長が妙なことを思いつくのだろうしーーーそうしたら嫌でも納得せざるをえないだろうからここはひとまず放っておこう、と判断したところに、
「あれ、どーしたんっすか、全員そろって?」
「あー、先輩だー!」
「お、噂をすれば、なんとやら」
「はい?」
駆けてきた一年三人を難なく受け止め、よろめきもしないその姿に、想像上の姿が全く重ならなかったのか作兵衛がブルリと大きく頭を振る。
それを不思議そうに見るに、なんでもないんだ、と苦笑を返した。
まさか本当のことなど言えやしない。
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