幕間のひと  【弐章】 今日から迷子





「それより、どうしたんだ?今時分なら長屋の戸口を直してるはずだろ」
「ああ、それがですね、ちょっとお手伝いで出ることになっちゃいまして」
「また女装するんですかー?」
「お手伝いってどこいくんですかぁー?」
「……ですかー?」

ついさっきまでその話で盛り上がっていたこともあって一年生の食いつきはすごい。
身体をよじ上ってきそうなその勢いに思わず身体を引いて、なんでこんなにすごい反応?と疑問顔だ。

「あ、ああ、多分そうだろうな利吉さんだったから…っつーか、俺に回ってくるような依頼って大方がそれが条件に入ってるもんだし…」

はは、と苦笑いを浮かべるのに、さすがにその自覚はあったのか、とこちらも苦笑した。

「なんで、途中で悪ィんですが抜けさせてもらいます」
「おう、そりゃ仕方ねェな。ちなみに、今回はどのくらいかかりそうだ?長いか?」
「二、三日ってとこですかね。もしかしたらもう少し延びるかもしれません。あ、それとこれ、吉野先生が、」

先日の提出書類ですとのことです、と渡された紙を広げて、あれ、と眉を寄せた。

「ハンコが抜けてら」
「あれ、ほんとだ」

まずいな、このまま出したら文次郎がまたうるさいんだろうな、と思った気配を察して、俺がハンコ貰ってきましょうか?と聞いてくる。

「平気なのか?」
「そのくらいの時間はありますよ。化けなきゃなんないんで一度長屋に戻るし……また多分夫婦役なんで」
「じゃ、頼む」

紙を渡して悪ィな、と手を挙げると、分かりましたとさっと駆け出した。
今回の依頼は利吉さんかーとつぶやいた横で作兵衛が、利吉さんと夫婦役?利吉さんと、夫婦役?誰が!?とぐるぐる頭を抱えだしたので、バンッと勢いよく背中を叩いてこちら側に戻してやる。

「ほれ、作業に戻るぞ。このままじゃ今日中に終わらん」






「平太、釘一本くれ」
「…はい」

とんとん、と金槌の音が響く。なかなか食満先輩のようにいい音は出ないな、と思いつつ、修理途中の文机をぐるりと回してみる。

これは始めから自分で直したものだ。
けっこう美味く直せてんじゃねぇか、とにんまり。
なんで文机がこんなズタボロになるんだとか、なんで端っこの方は焦げてんだとか、この文机は誰のものなのかとかは、気にしないことにする。

気にしない。それが自分の身を守る一番の術だ。

「平太、釘もう一本」
「………」
「おい、平太?釘…」

返ってこない返事を不審に思って顔を上げると、平太は中庭の方をじっと見ている。
何かあるのか?と顔を向けると、

「平太?何かあるの、か…」

向こうの方から女の人が歩いてくるのが目に入った。
年の頃は十六、七だろうか。一斤染め(いっこんぞめ)の淡い桜色に薄浅葱(うすあさぎ)の模様の優しげな着物がよく似合う、綺麗な人だ。
美人といおうか可愛らしいといおうか迷う、ちょうど境目のあたり。

お客さんだろうか?でもこんなはずれの方向に客人が用があるとは考えにくい。
しかし女性の足取りは迷いなく、真っすぐこちらへ向かってきているし。
首をひねりつつ、何か御用ですか、と声をかけようとした横を抜けてしんべエが走り出した。

「あー、先輩だー!」

たしかにそう、口にして。



なに?



そんなまさか、と首を振って笑い飛ばそうとした瞬間、その女性は飛びついたしんべエを優しく受け止め、にっこり笑ってこう言った。



「なあに?」

と。




思わず、手にしていた金槌がぼとりと落ちる。


わぁ、やっぱり綺麗ですねー  ふふふ、ありがとう  はにゃ、本当に先輩なんですかぁ?ボクびっくりしちゃったぁ  この姿のときはって呼んでね?  ちゃんですか?分かりましたー

そんな声が意識の外、遠くから聞こえてくる。
その声だって、どう聞いても柔らかな女の人のそれだというのに!?

「留先輩、これ書類です」
「おう、悪ィな」

ああ。
ああ…その手にしているのはたしかに先ほど先輩が持って出たそれ。
必死に目をそらしていた行為を無にする決定打に固まった作兵衛に気付いたが、どうしたの?と近寄ってきた。

「作兵衛?」

ひょい、と顔を覗き込まれてようやく我に返る。
慌ててなんでもないですと言おうとしたが、気付いた顔の近さに、視界いっぱいに近づいた『女の人』の顔に、かあっと顔に熱が集まるのが分かった。

明らかに紅く染まった顔といつになく挙動不審な態度を心配したが、

「熱でもあるのかしら」

と不安げにその白い手をおでこにぺたりとあててきたりなんてするもんだから、もう。
その拍子におしろいやら花のような甘い香りやらがふんわりと香ったりなんかするもんだから、もう、もう!

「だ、だだだだだ大丈夫ですーーーーっ!!」

叫んで、ズザッと倉庫まで勢いよく下がる。
そのさまに、おでこにあてていた形に手を上げたまま、きょとんと瞬きをする女性―――もとい、

そんな仕草もよく似合っている。
そう思うのも、もう末期なのか?

「……そう?無理しちゃダメよ?」

それでもやっぱり心配、という顔で近寄ろうとするのを、こくこくと壊れた人形のようにただただうなづいて拒否する。
もう顔はこれ以上ないほど真っ赤だ。
これ以上はもう無理!
そんな作兵衛の心の叫びが通じたのか、

ちゃーん、行くよー?」

まさに天の助け!

なかなか戻ってこないを迎えにきたらしい利吉に、はーい、いま行きます、という返事さえも女らしく答えて身を引いてくれたので、作兵衛はやっとありつけた息を胸いっぱいに吸い込んだ。
ら、甘い匂いがふっとして、むせた。
……もう、これはほんとシャレにならねぇ…

「じゃあ行ってきます。後はよろしくお願いしますね?」
「おう、気をつけてな」
「なるべく早く戻りますから」

お土産なにがいいですか?なんて笑いながら会話している先輩二人が、姉さん女房と娶りたての旦那、のように見えて、作兵衛は、ひく、と口の端を力なく引きつらせた。




そうして利吉さんに連れられたの姿が視界からすっかり消え去ってようやく、作兵衛はがっくりと地面にしゃがみ込み。

「……………サギだ…っ」

絞り出すようにつぶやいた。


その姿を、食満が同情心たっぷりに見ていたことなど、彼は気付くよしもない。

(あー………やっぱりな、あいつもか。でも、まぁ…中学年あたりになるとけっこう通る道だしなぁ……)

ははは、と乾いた笑いを浮かべ遠くを見やる食満を、平太が不思議そうに見上げた。





※ 一斤染め:紅花一斤で絹一匹(二反)を染めたことからの名。
      紅染めの薄い色で、桜色に近い。
 薄浅葱:藍染めで薄く染めた色である浅葱色の、その更に薄い色。
     水浅葱よりも薄め。


なにを隠そう、かつて竹谷も通った道(笑)
はたぶん、自分が思っているより用具委員達に愛されています。






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