『じゃあ、三日後に』
そうとだけ言ったのがいけなかったのか。
当然分かっているだろうと思った自分がいけなかったのだろうか。
分かっているだろう、と思った自分に咎はないと思いたい。なにしろ相手は自分より一つ上の、六年生なのだから。
もちろん分かっていると、思うもんだろ?
幕間のひと 【七章】 愛でられてこそ華
化粧道具の入った箱と着物を包んだ風呂敷その他を抱えて(の化粧道具の入った箱は大きすぎだ、とハチに顔を引きつらせて見られたことがある。けれど実はもう一つ同じ大きさのものに、あまり使わない色の紅だのを入れてあることは兵助しか知らぬ秘密だ)仙蔵と文次郎の部屋に行くと、戸を開けてくれたのは仙蔵だった。
ひょいと中を見るが室内に文次郎はいない。既に着物を替え化粧に移ろうとしていた仙蔵がすぐ戻ってくるだろうというので、じゃあ先に用意しておきますんで、と中に入って荷物を広げる。
文次郎手持ちの化粧品の少なさや鏡の小ささにため息つきつつ並べていると、ほどなく気配と戸を開ける音がして文次郎が戻ってきた。
どっかりと座り、すまねぇなといった文次郎にいえいえと振り向いて――――――
が止まった。
「おい、?」
「なんだ、どうかしたのか?」
様子のおかしいを仙蔵と文次郎が覗き込もうとしたとき。
ふつり、と何かが切れるような音がした気がした、と後に仙蔵は語る。
「こんの、ド阿呆ーっ!!」
六年長屋中に響き渡った怒声に、隣向こうの部屋で各々準備をしていた者達が一斉に飛び出してきた。
すわ何があったのか!?と文次郎の部屋に駆けつけた四人が目にしたのは………怒気を背負って仁王立ちになった。
きょときょとと常に似合わず幼い仕草で辺りを見回し、あっけに取られつつも本能でこれはマズいと察したのか逃げ道を探そうとする文次郎を、座った目で眼光鋭く、ぎんっ、と睨みつけると、
「……………正座…」
「あ?」
「正座ぁっ!!」
があんと蹴られた文机が吹っ飛んで戸口で覗き込む伊作の顔の横に激突した。
「ひっ」
弾かれたようにぴょこんと飛び上がり思わず正座になった文次郎の頭を片手でガッと掴み、
「テメェふざけてんのか、ぁあ?」
ぎりぎりぎりぎり、と容赦なく締め上げる。
ギチギチと頭部に食い込もうとする指先の白さに、伊作の顔が青ざめた。
あれは痛い!見た目より絶対痛い!
きっちりこめかみを捕らえているし、なにしろは見た目に似合わぬ力の持ち主だ。だが伊作には、あの怒り狂ったを止めに入るだけの度胸はとうていなかった。
ごめん文次郎、でも僕、自分の命が惜しいっ………!!
「ああ確かに言わなかったけどよ。でも当然分かってると思ってたんだよ、テメェマジ何考えてやがる隈がいつもより濃くなってんじゃねェか、ただでさえ自分はヤバいって意識ちゃんと持ってんのか、進退かかってる女装テストの前に徹夜する馬鹿がどこにいんだ、ああそうかここだよな、ここにいるんだよいま俺の目の前に!どうしてくれようかこのドアホ、マジで脳みそねーんじゃねェか?あるいは鍛錬中に落としてきたか。そうかそれでつるっつるなんだな、つるっつる。じゃなきゃこんな馬鹿なことするわきゃねーよな、なっ!?」
ぷっつん切れたのだろう。
平素の多少崩れてはいるが一応敬語な口調では考えられない言葉遣いで、文次郎を罵りつつギリギリと締め上げる。息継ぎもなく、素晴らしい肺活量だ。
あまりの剣幕に、文次郎は痛いという声をあげることもかなわず声も無く悶え苦しみ、残りの一同はあっけに取られての豹変っぷりを見ていた。
仙蔵ですら驚きのあまりぽかんと間抜け面だ。
男にしては細い指と腕からは想像もつかない凄まじい力で締め上げつつ思う様罵り尽くしたは座った目のまま、その視線を戸口の伊作に向けた。
目の合った伊作が蛇に睨まれたカエルのようにビクンとすくみ上がる。
「伊作先輩、湯、持ってきてくれるか?」
「え、えっと、湯?」
「あとうどん粉と小皿」
「湯とうどん粉と皿だね分かった!」
ばびゅんと音がしそうな勢いで逃げ出す。
そのままゆうるりと視線を横の留三郎に向けて、
「水、汲んできてくれ。あと綿持ってるよな?少しくれるか」
可愛がっている後輩のあまりの変わりように青ざめつつこくこくとうなずいて、庭の井戸へと走った。
仙蔵には手ぬぐい数本あるかと聞いたので慌てて押し入れから取り出して差し出す。先輩の威厳がどうのなどと到底言ってはいられなかった。
ようやっと締め付けから解放された文次郎が息も絶え絶えに見上げた先には、
「………覚悟しやがれ?」
口元をにいっとつり上げて笑う、修羅がいた。
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