幕間のひと 【七章】 愛でられてこそ華
「湯と水に交互に顔つけろ。それぞれ三十ずつ数えろよ。で十回繰り返したら顔拭いてこっちに来い」
明らかに先輩に対する物言いではなかったがいまは刺激するべきではない、と全員が口をつぐんだ。
触らぬ神に祟りなし。怒れるには逆らうべからず。
「たらいもう一つあるか?あと、水もう一杯」
「あ、汲んでくるよ」
「俺も」
「私も」
水汲むのに三人もいらねェだろという突っ込みが入らぬうちに素早く部屋を抜け出し井戸に向かうは伊作、留三郎、小平太の三人。
ギシギシ鳴るつるべをたぐり寄せ水をたらいにあけながら、
「………あいつって、怒らせると怖かったんだな…」
「ホントにね……」
「不破が怖いのは私も知ってたけど…」
万が一にも聞こえないようにポソリポソリと小声で放していると長屋の方から、ぎゃあ、だとか、ぐぅ、だとかいう声が聞こえてきて慌てて駆け戻る。
何事か!と部屋に飛び込むと、
「動くんじゃねェよ!」
「っ、痛ってぇ!」
「痛くて当然だ!いいから口閉じてろ舌噛みてェのか!」
滑りをよくするため油をたらした手でぐいぐいと、あごの下から耳へ、頬から耳の下を通って首、鎖骨から肩の辺りまで、親の敵のような勢いでもみほぐしていると、涙目でされるがままの文次郎が、いた。
もみ込む手の力の強さは、肉に埋まりかけの指を見れば分かるだろう。情け容赦なくもみほぐしながらは怒鳴った。
「なんだこのがっちりした顔と首は!こんながっちりした女がいるかっ!!よもやまさかお前、俺が手伝わなかったらこのまま女装するつもりだったんじゃねェだろうな!?」
「う…そ、れは、」
「口閉じてろっつったろーが!」
回答を要するような問いをしたのはの方なのに!?という一同の驚愕をよそに、
「テメェみたいな育ちすぎた男が着物替えて紅引いただけで女に見えるわきゃねーだろ、努力もしねェで………試験に落ちんのも当然だ!!たかが女装と侮ってまともに取り組もうとしない、そういうのを忍者の三病っつーんじゃねェのかよ!ああ!?」
「ぐぅっ」
「そ、その……、もちょっと、そっと……そーっとね?」
恐る恐るかけられた気遣いの声はきれいにスルーして、
「とりあえず、お前にゃ娘は無理だ。村娘も町娘も、全て却下。この老けたごつい顔で、隈の有る顔で娘なんぞやられてもただただ不気味なだけ!」
目の周りもぐいぐいと。ひとしきりもみほぐしたあと桶の水で手を拭うと、ガッと親指を文次郎の口に突っ込んだ。
「ぐっ!?」
とっさのことに噛み締めようとしたあごをもう一方の手でがっちり押さえ、中に入れた親指と外の指で挟むようにした頬の肉をこちらもぐいぐいともみ込む。
ぐにぐにと顔が歪んで形を変えるがもう文次郎は全てを諦めたのか、されるがままだ。あまりに面白いその顔にも誰一人として笑う者はいない。
「…………それは、なにをしているんだ…?」
「頬と口角を上げて、あごから首へをすっきりさせ顔を小さく見せる―――せめても、だがな。とりあえず、見た目が年食ってるのはしゃあない。だから今回のお題は『熟女』だ。ちょっとくたびれた辺りの、旦那を早くに亡くしたそこそこいいとこの後家」
「それは………文次郎の老けた顔にはふさわしいかもしれんが……………受けるのか?」
「数は少ないが、幼女趣味と同じだけ年増好きってのも世の中にゃいるもんだ。あるいは、いくつだって男は男だからな、ちょっと金のあるスケベ心満載のじいさん狙って引っ掛けてこい」
「確かに何でもいい、とは言ったが……」
初めて、許せ文次郎……と謝りの言葉を口にするという貴重な仙蔵の横、ひとしきりぐにぐにとやったかと思うと、顔洗ってこい、と無情にも放り出した。
「その間に、」
チロリと視線をすっかり傍観者のつもりでいた小平太と長次に向けると、やや戻りかけていた目が再び座った。
片手で化粧箱を引き寄せつつ、片手で呼ばる。決して逆らってはいけないという本能が告げる声に従い大人しくの前に座ると、
「まずその化粧を落とせ」
さっくり全否定された。
渡された手ぬぐいと水で大人しく化粧を落としにかかる。
その様子を横目で見つつ手に取ったのは、なぜかうどん粉と皿。
なにが始まるのか、と興味津々に覗き込む仙蔵達をよそに皿にうどん粉をとると少量の水で溶き始めた。
「それは、なにをするのだ?」
「中在家先輩の傷跡を消す。あと潮江先輩の隈も」
「……それで…か?」
疑問顔の三人に、ん、と示したのはなにやら小さな筒。その蓋を取りさらさらと混ぜられてゆく薄茶色の粉。
それを混ぜ込み、肌と見比べて調節してゆく。
「さすがにその傷跡は目立つ。顔に注意がいきやすくなるからな。逆に言えばそれさえ隠せりゃどうにでもなる」
「長次の顔はいかにも男らしいというか……言っちゃなんだけど、可愛い女の子にはなりようがない気がするんだけど…」
はい、と手を上げ恐る恐る聞いた伊作に、そもそもそこが間違ってるんだ、と。
「何か買ってもらうだけなら可愛い必要はない」
「え?」
「ああ、落とせたな。じゃあこっちに」
先ほど作ったもったりした肌色のものを長次の頬の傷跡の上に塗っていく。
塗ってはあおぎ、を三度繰り返すと、乾くまで触るなよと言って小平太に向き直る。その手にはいつ手に取ったのかカミソリが握られていて。
逃げる間もなくそれをきらめかせるとはらりと眉毛が数本舞って落ちた。
「……ずぼらな手入れの割にゃ肌が綺麗だな…」
ちくしょう、と小さく毒づきつつささっとおしろいを塗られ、目元に墨を、紅はこっちの色、あと頬にも紅を…ちょっと笑え、笑い過ぎだ、ほい良し、と手早く化粧が施されてゆく。
鏡がないので本人にはなにがどうなったのかさっぱり分からないが。
「よし。次!」
うっかり目に入ったおしろいに目をしばたかせている間にはさっさと次の標的―――長次に向き直ると、さっきよりもいっそう素早くぱたぱた化粧を施してゆく。
こっちはなるべく地味め、薄いめだ、と言いながらひるがえる手はもうなにをどうしているのやら察しもつかない。
ものの数分と立たないうちに、
「よし、完成!」
やりきった感のの手が止まったところに、
「おい…顔、洗ってきたんだが……」
そうっと戸を開け文次郎が戻ってきた。
「お帰りー……いっ!?」
「!?」
お帰り、と振り返った小平太を見て文次郎が目を見張ったが、小平太の方がより見張った。
「文次郎の顔がなんかすっきりしてる!?」
確かに頬とあご、首の辺りがすっきりして細くなったように見える。
皆に注視され居心地悪そうに身じろぎするのを手招きして、座れとうながしもの言う間もなく特製の液体を目の下の濃い隈に塗り込んだ。
「こ、これはなんだ?」
不安に震える声はさっぱり無視し。
あおいで乾かすと先ほどの二人同様手早くおしろいを塗り広げてゆく。カミソリも手にして、バッチリ眉毛も整える気だ。
ここまでくるともう逆らう気力もなくなる。全てなすがまま、されるがまま。
まな板の上のなんとやらという言葉がこの上なく似合う文次郎の顔をすごいスピードで作り上げつつ、小平太達へのアドバイスも忘れない。
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