幸いなるかな、勘違い
〜再びの出会いは人力で、引きずり寄せるものです。 後編〜






「一年は組、きり丸っす。あのときはホント、ありがとうございました」
「これはこれは、ご丁寧に。四年ろ組、です」

ところであの犬を預かるバイトはまだやってるの?と聞かれ、臨時なんでいまはやってないですけど、というと、そっか…と目に見えてしょぼんとする。

「犬、好きなんでしたよね」
「うん。私もなんだけど、七松先輩があの犬に会いたがってらして」
「………へぇ」

嫌ーな予感がする、ときり丸は思った。
そしてこういうたぐいの予感は得てして、外れないものである。

「結局あの後、潮江先輩に犬を買いたいから予算が欲しいと頼みに行ったんだけど、却下されたらしくてね」

小平太の『頼み』に行く、のがどんな状態なのかよく知っている身なのであえてそこには触れなかった。
ちょっと前に用具委員長が怒りながら壁の修理(というか既にそれは作成に近かった)をしていた理由をこんなところで知りたくはなかったなぁ…と、思わず遠い目を。

「とても落ち込んでいてね、もう一回来ないかな、とつい先日も言ってらしたんだ。だから、もし預かったときには教えてね、七松先輩喜ぶと思うから」

先輩は本当に犬がお好きなんだねぇ、と。
嬉しそうに笑うには悪いが、小平太はたぶん前回同様、体育委員会を巻き込んで走り込みの鍛錬に使う気だろうと思ったので、預かっても決して教えまい、いや、あの犬はもう二度と預かるまい、と心に決めた。
それがあの日、魂を飛ばして泥まみれで返ってきた金吾に対する、せめてもの償いだ。


「え、ええと…あ、そういえば先輩はろ組なんですね!」

無理矢理な話題変更だが、滝夜叉丸と仲が良いようだからい組かと思ってました、と傍らの布団で眠る滝夜叉丸を見ると、

「ああ、それは落とし穴に落ちたから連れてきただけ。むしろよく話をするのは三木かなぁ」

あっさりさっぱり切り捨てた。
どころか、それ呼ばわりだ。

「綾部先輩の穴っすか?同級生でも落ちるんですね」
「滝はわりとよく落ちるよ。注意力散漫なんだよねー」

先輩はそう言うけれど原因は違うんだろうな、と見当を付けて乱太郎を見ると、沈痛な面持ちで首を横に振った。
この先輩に対峙した人ならきっと分かる。
ああ。きっとその注意力を散らせたのは先輩自身なんだろうな、と思いつつも、

「上級生なのに、ダメダメっすねー」
「ほんとにねー」

話を合わせておいた。
いやいや、先輩が原因っすよ?なんて言ったって理解できないだろうから。なんせ、は悪気はゼロなのだから。
それにもし言って分かるようなら、いまこうなってはいないだろうし。

「きり丸はは組なんだよね」
「はい」
「じゃあ、三治郎と虎若と同じクラスかな?乱太郎も?」
「はい」
「そうっす。って、あれ?ってことは先輩もしかして生物委員会ですか?」
「うん、そうだよ」

たしかに、動物好きそうだし合ってるかな、と考えてふと思い当たった。

「あ…じゃあもしかして三治郎の言ってた『あの先輩』って、先輩のことですか?」

あの、ってどの?と首をひねる姿に、

「いえ、前にですね、なんでいつも毒虫ばっかり逃げるのかって聞いたら、動物もちゃんと逃げてるけどうちには便利な体質の先輩がいて、動物にたかられるから、すぐに捕まえられるんだ、って」
「たかられる、って、きりちゃんそれはちょっと……」
「あ、うん、そう。それ私。私」
「ええっ」

三治郎に聞いたときには、たかられるという表現はどうかとちょっと思ったのだけれど。
先日の犬とを思い出すと、確かにその表現は相応しいと納得できた。
まさに、犬にたかられていた。

そして毎度先輩を生き餌代わりにしているのか生物委員会よ。


「なんだか私、一定以上の大きさのある生き物に異常に好かれるみたいでね。まあ、そのおかげで逃げ出した生き物も見つけやすいから、それは良いんだけど」

ただ残念なことにね、と悲しそうに眉を下げる。

「虫はちょっと……」

ああ、ちょっと変わっていたってやっぱりこういうところは普通の人と同じなんだな、とその反応が微笑ましく思えて。
虫は気持ち悪いですもんね、と同意を返せば、

「いや、そうではなくてね。小さすぎるから寄って来ないんだよ。だから私、毒虫が逃げたときは役立たずでねぇ」

ふう、とため息一つ。

「虫がもっと大きかったらよかったのに」
「いやいやいや、それは嫌っすよダメっすよ、なに考えてんすか、んなでっかい虫がうようよいたらどんな悪夢ですか」

全力でもって否定するきり丸と、その後ろで、犬サイズのマリーとその子供達がわさわさ散歩しているのを想像してしまって、ぷるぷる震えている乱太郎の姿に、きょとんとした後、にっこり嬉しそうに笑って、

「きり丸は三木と同じことを言うんだねぇ」

双子みたい。
そう笑うに、せめて兄弟じゃないんですか、と引きつった笑顔を返しつつ。
日々この言動に付き合っているだろう三木エ門に初めて心の底から深い尊敬を抱いた。

と会話を成り立たせ、滝夜叉丸の話を日々聞きつつ、学園のアイドルを自称する彼の神経はきっとしめ縄ばりに太いのだろう。
己もそれが欲しいかと聞かれれば全力でもって否!と答えさせていただくが。

そんなことをきり丸がつらつらと考えていると、どだだっ、と廊下を駆ける足音がして、スパンッと音を立てて勢いよく戸が開けられた。

っ」

噂をすれば何とやら。

「あれ、三木。どうしたの、そんなに焦って」
「焦ってるんじゃない、怒ってるんだ!」
「じゃあ、どうしたの、そんなに怒って」
「お前がいつまで待っても来ないからだろう!」
「ああ、それはごめんね。でも、滝を保健室に運んでたものだから」
「………どうしたんだ、そいつ」
「穴に落ちたんだよ。凄かった!」

さすがに四年の付き合い。
凄かった!の一言でどんな感じに凄かったのか察した三木エ門は深く深くため息を吐き、そんなものは放っておけ、と言い放った。

「おやまぁ、滝夜叉丸。また穴に落ちたの?」

その後ろからひょこんと顔を出したのは原因の一端、綾部だ。
更にその後ろにタカ丸もいるところを見ると、皆で集まって何かするところだったのだろうか。

「綾の穴だよ」
「おや。目印はちゃんと置いておいたんだけどねぇ」
「有ったけど、見てなかったんだよ。もっと目立つのにしたら?」
「それじゃ落とし穴の意味が無くなってしまうよ」
「確かにそれはそうだね、何も落ちなかったら落とし穴ではないもの」
「そうそう。落ちない穴はただの穴だよ」
「………なんだそのどこぞのパクリのようなセリフは…」

主たる原因は目印ではないと気付いていないと、分かっているだろうにわざと触れない綾部が、のらりくらりとめまいのしてきそうな会話を繰り広げる。

「タカ丸さんも気を付けて下さいね、落ちると大変ですから」

こんなふうに、と滝夜叉丸を指す
本当に凄いね、うん、気をつけるよーと言うタカ丸に、本当は何があったのかよく知る乱太郎は、いえ、その酷さの半分は先輩による産物です、とは賢明にも教えなかった。

世の中、言わずにおいた方が良いものというのは多いものだ。



「………こうして人は成長してゆく、と…」
「ん?なにか言った、乱太郎?」
「いいえ、なにも」





Back  幸いなるかなTopへ  Next