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幸いなるかな、勘違い
~記憶というのは、得てして曖昧なものです。 前編~






「大変だ-っ!」

そう叫んだ一平が駆けてきたのは、いつものように突発的な校外実習を行った一年は組がようやく学園に戻ってきて、門を潜ってすぐのことだった。

「一平、どうしたの?そんなに慌てて」

嫌な予感がしてすぐさま反応したのは、同じ委員会の虎若と三治郎だ。
そしてその予感はとても正しかった。案の定、

「毒虫達が逃げ出しちゃった!」

と言った一平に、ああもうこの疲れているときにっと嘆きたかったが、放っておくわけにはいかないので不満をぐっと堪え、

「分かった、僕達も探すよ」
「戻ってきたばっかりなのにすまないな…」

悪いけどこれだけ部屋に戻しておいてくれる?と背に背負った包みを渡そうとする虎若と三治郎に、できれば巻き込まれたくなかったのだが目の前でそんな話をされて、じゃあ頑張ってきてねと笑って見送れるほど冷血漢ではなかったし、なにより、長屋でくつろいでいるところに毒虫とばったり、なんて出会いは絶対避けたかったので、

「オレ達も探すの手伝うよ」
「大勢で探した方が早いしね」
「そうだよ。で、逃げたのってどんな生き物?」
「みんな…有難う!」



そうして一年は組と一平、計十二人はわらわらと群れながらそこの地面を、あっちのやぶの中をと手分けして毒虫達を探すことにしたのだけれど。
逃げたのが比較的安全な生き物達だったのがせめてもの救いだろう。およそ半数ほどが見つかったあたりで、

「た、た、た、た、大変だ-っ!!」

ああ、なんだかさっきも見た光景、と思うような格好で今度は、孫次郎が駆けてきた。

「なんだよ、お前どこいってたんだ?」
「たっ大変なんだ!」
「そうだよ、大変なんだよ。また毒虫が逃げちゃったんだから」

と言うと孫次郎はそうじゃなくて!と身をよじり、



「十駆が逃げちゃったんだ!」



その言葉にまっ先に反応したのは意外にも生物委員ではなく、団蔵だった。

「なんだってぇ!十駆が逃げた!?」
「団蔵、『十駆(とがけ)』って、何?」

聞いたことのない名前だけど伊賀崎先輩の新しいペットだろうか、でもならなぜ団蔵が?と不思議そうなは組の皆に、団蔵は丸い目を驚きに見開いたまま、馬だよ、と言った。

「学園で飼ってる馬の名前なんだ。ほら、僕馬が好きだから、よく馬房にいって世話を手伝わせてもらったりしてるから知ってるんだけど」
「団蔵は馬借の若だんなだもんね」
「でもそんな名前の馬、いたかなぁ」

首をひねる庄左エ門に、僕達が馬術で使わせてもらえるような馬じゃないから、と。

「十駆ってのは緊急時の連絡用の早馬で、一駆け千里…はさすがに無理だけど十里くらいは走れるくらいに速い、ってところから十駆(とがけ)ってつけられたくらいの馬なんだ。学園で一番の駿馬だよ」

その言葉に孫次郎の顔色がいっそう青くなった。

「ど、どうしよう……僕、馬達に飼い葉を上げてたんだけど、足元で音がしたから見たらきみ太郎がいて……びっくりして桶を落としちゃったら馬達が騒ぎ出して、その拍子に棒が外れて逃げちゃったんだ……」

大事な学園の、それも一番良い馬を、と半泣きの孫次郎に、私、先輩達を呼んで来るから、と乱太郎が駆け出した。
皆が慌てるのも無理はない。虫達や、犬や猿が逃げるのとはわけが違うのだ。
馬、それもとびきりの駿馬ならば、下手な人に見つかれば即、売り飛ばされて戻っては来ない。



大変なことをしてしまった、と青ざめる孫次郎を、大丈夫だよきっとすぐに見つかるってと励ますも、ついにその目から涙がこぼれ落ちそうになったとき、

「「「孫次郎!」」」
「せ、せんぱーい」

生物委員の先輩三人を連れて戻って来た乱太郎に、孫次郎は駆け寄った。

「ご、ごめんなさい、先輩…僕、十駆を逃がしてしまって…」

グスリ、と鼻をすするのに

「泣くな孫次郎、大丈夫だから」

竹谷はからりと笑うと、孫兵に、山本シナ先生のところに行って、くのいち教室を封鎖してもらうように頼んできてくれ、と言った。
十駆が逃げたから、といえば分かるから、と言うのにうなずいて孫兵が駆け出した横、五葉は孫次郎に視線を合わせてしゃがみ込むと、にっこり笑ってその頭を撫でた。

「孫次郎、ケガはない?」
「それより馬が……」
「馬も大事だけれど、いまは孫次郎だよ。ケガはない?」
「……ありません」
「そう、それは良かった」

安心というように笑うと、大丈夫だよ、と

「十駆は賢い子だもの。竹谷先輩がもう手も打たれたしね。すぐに戻って来るよ」

それよりむしろ、逃げてしまった毒虫達の方が問題かな、と空の虫籠を持ち上げ、もちろん孫次郎も手伝ってねと笑う五葉に、なぜか孫次郎は更に小さくなった。

「どうしたの?」
「あの………」

言いごもる様子に、ああこれは他にもなにかやらかしたんだな、とピンときて、

「うん、言ってごらん?大丈夫、怒らないから」

きょときょと、と視線を泳がせてから。意を決してバッと頭を下げた。

「ごめんなさいっ、実は、馬が逃げたって知らせようと慌ててて、周りをよく見てなくて……うっかり犬小屋の扉にぶつかっちゃって……」

ああ…とは組の誰かから納得の声が上がった。

「犬も、逃げちゃったんだ……」

今度こそ怒られるっと、きゅうと小さくなる孫次郎に、けれど五葉はなんだそんなこと?と笑い、こっちかな、と森のあたりに向かってなにやら。


ぱぁん、ぱぁん、と。


柏手を打つように大きく手を二回、打鳴らすと、

「さっ、これで大丈夫だ。あとは毒虫だけだね」

と、いまのでなにが起こるの?と不思議そうな一年生達の背中を押した。

「竹谷先輩、私はここにいた方が良いですよね?」
「そうだなぁ。犬らも逃げたんならここでまとめて捕まえた方がいいだろう。そこらに居てくれ」
「はーい」

開けた広場の中でも特に見通しの良いあたりに移動した五葉と竹谷の会話に、これからなにが起きるのか興味は尽きなかったけれど、とりあえずいまは毒虫達の確保だ、と虫籠片手に散らばって。
さすがに捜索手が十三人もいると作業は速いもので、半数近くは既に捕まえていたこともあって、たいした時間もかからず集め終わった虫達を戻そうと広場に戻ってみると、




「………あれはなにをしてるんですか?」
「ああ、お前達か」

小さな岩の上にはちょこんと正座した五葉がにこにこ笑い、その前には竹谷が仁王立ち。
目に飛び込んできた奇怪な光景に思わず聞いたきり丸に、くのいち教室から戻ってきていた孫兵はなんでもないように振り返り、なぜか生物委員の一年生達は乾いた笑いを浮かべた。

「待ってるんだ」
「…………なにを?」
「逃げた動物達が戻ってくるのを」

ああ、そういえばうっかり忘れていたけれど。
五葉先輩は動物達にたかられる変わった体質の持ち主の生き餌だったんだっけ、ときり丸が生物の一年生と同じように乾いた笑いを浮かべたとき。


森の西の方からガサガサと、なにかが駆けてくる葉擦れの音がした。
なにが、と目をやった瞬間、バッと森からとび出してきた大きな黒犬は、その勢いのまま五葉めがけて一直線に走りーーー


「危ないっ」


子供達がその後の惨事に目をそらそうとしたとき、竹谷が素早く黒犬と五葉の間に走り込み、

「捕まえ、たっ」

いつまでも上がらない悲鳴に勇気を出してそうっと目を開けてみると、竹谷が黒犬の身体を羽交い締めにして抱え上げていて。

なおも腕の中でじたばたと暴れる黒犬に皆がわあっと歓声の声をあげる中、ちょこちょこと近寄った五葉が

「クロー」

良い子だねー、と一人のんびりと犬の頭を撫でたとたんに、さっきまでの暴れっぷりが嘘のように大人しくなった。
犬の力が抜けきったのを確認して竹谷が下ろしてやると、犬はしっぽを振って五葉にすりよった。

「やっぱりクロが一番手でしたねー」
「早かったなー」

よーしよし、偉かったなーと上機嫌で黒犬の頭を撫で上げる竹谷に、
(黒いからクロってのは名前単純過ぎだろ)
と心の中で突っ込みながら、

「あの、その犬は……?」

と聞けば、

「ああ、俺が一年のときから飼ってる犬だ。足は早いし賢いし、よく懐いているからいうこともよく聞くんだぞー」

と嬉しそうに笑うが、どう見ても犬は竹谷より五葉に懐いている。
完全に、竹谷ではなく五葉の方を向いてすりよっていた。

ああでも、と。
きり丸は、懐いてはいても命令は聞かなそうだから、竹谷のいうことはよく聞く、というのは合っているのかな、と、黒犬にグイグイ押しよられて少しづつ下がってゆく五葉を見て思った。






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