幸いなるかな、勘違い
〜記憶というのは、得てして曖昧なものです。 後編〜
その後も、同じ手段で。あっちの森から走ってきた白犬一匹、こっちのやぶからブチが一匹、正面からも小さい犬が二匹……と犬達は面白いようにわらわらと。
めがけて走ってきては竹谷によって捕獲される、というパターンをくり返し。
わぁ、これじゃまるで犬ホイホイだよと誰かが呟いた言葉に声もなくうなづいている間に。
「よーし、これで最後な」
最初の一匹が現れてからものの十分とたたないうちに、脱走した犬達は全て捕獲された。
「「「「「わー………」」」」」
感心半分、ため息半分、といった力無い歓声をあげるは組の子供達。というのも、
「…………」
後ろを振り返ると。岩の上にちょこんと正座したをぐるりと取り囲むように犬達が、なるべく広い範囲と接していようと押し合いへし合いして犬団子を作っているからだった。
ひしめき合い、わさり、わさり、と揺れる色とりどりの毛皮達。
……なんとも凄い光景だ。
これで中央にいるが笑っていなかったら、よっぽどの犬好きでない限り恐怖映像だろう。
きり丸は以前のバイトの時に目にしているのである程度心構えができていたが、今日始めてみるものの中には口元が引きつっているものもいる。
竹谷は集まった犬達がに夢中になっているうちに手早く綱をつけると、
「孫兵、悪いがこいつらを犬小屋に戻してきてくれるか?」
「分かりました。ほら、来い」
名残惜し気に振り返り振り返りしながら去ってゆく犬達には呆気無いほどあっさり笑顔で手を振り、
「さて。あとは十駆だけですね」
まだ見つかっていないのか、と孫次郎の顔が再び青くなるのを、平気平気と笑いかけ、
「そんなに暗くなるものではないよ」
「でも………」
「たぶんそろそろ。そろそろ、来る頃だと思うか」
ら、と言い終わる前に。ザザザッと先程より大きな、森を駆け抜かる葉擦れの音が聞こえ。
「あっ!」
最後の茂みを跳躍して現れたのは、見事な栗毛の雄馬。
馬は一声いななき、ぶるりと身震いすると、
「十駆」
の声に答えてゆっくり近付いた。
伸ばされた手に顔を近づけ、身体をすりよらせて、ぶるる、と声を上げて懐く十駆の首を撫でてやりながら、ほらね?と孫次郎に笑いかける。
「だから、大丈夫だっていったでしょう?」
その姿に、孫次郎はほっとしてつい涙を浮かべた。
その気持ちも分からないではない、と皆が思うほど、現れた馬は素晴らしい駿馬だった。素人目にも、その馬の筋肉の付き方が他の馬達と違うことが分かる。
これほどの馬ならば、いくらでも出すという豪族や城主の一人や二人、探せばすぐに出て来るだろう。
馬が大好き団蔵が目をキラキラ輝かせて十駆を見上げる横で、竹谷が疲れたとばかりに肩をトントン叩きながら、くのいち教室にも見つかったからもう封鎖を解いても大丈夫ですっていいに行かなきゃな、というのを聞き付け、
「なんでくのいち教室を封鎖なんてしてもらったんですか?」
「なんで先輩達は絶対十駆が戻って来るって分かってたんですか?」
「やっぱり先輩の体質頼みっすか?」
「手をぱぁんって叩いただけで寄って来るって凄いですねぇ。仕込んだんですかぁ?これなら大道芸でも食べていけそうですねぇー」
若干一名なんだか着目点が違かったが。
学園の大事な駿馬、さすがに逃がしたのは今回が初めてだったので、全く慌てる気配のなかった先輩達の姿に、感心した生物委員の四人も含めて口々に問う一年生達に、顔を合わせ、
「体質……もあるだろうけど、やっぱりこれは、なぁ?」
「十駆だからこそ、ですよね」
「他の馬ならもう少し時間がかかりますし、もしもを考えて焦りもしますけど」
「十駆ならば心配いらないからな!」
「行動が分かり易いですよね、ほんと。賢い子ではあるんですけれど…」
「くのいち教室を封鎖さえすればあとは、先輩のところに行くしかないですからね」
並んでうなずきあう先輩に、だからそれはどうしてなんだと声をそろえて聞けば、だって…と、くるりとそろって振り返り、
「「「十駆は無類の女好きだから」」」
しぃんっ と。
効果音さえ聞こえてきそうなくらい、空気が凍った。
一年生達もそろって凍った。
その中、先輩三人だけは朗らかに笑って、
「困ったものだけれど、逃げ出すとこの癖が役にたちますよね」
「馬は嗅覚はそんなに凄くはないはずなんだけどな、いったいなにで見つけ出しているのか、ほんと」
「立花先輩に女装してもらってみたときも、そっちには行かなかったですからね」
「伝子さんならスルーされるのも分かりますけど。……見た目で男女の区別を付けているわけじゃないってことですよね」
「とびっきりの美味しい餌でつってみたときも、そっちじゃなくこっちに駆けて来ましたし」
「むしろあいつにとってはが餌か?」
「それはなんとも、美味しくなさそうですねぇ」
ふふふ、あはは、と笑う先輩達に、ぎしりと音がしそうに緩慢な動作で手を上げたのは乱太郎。
「あのぅ、百歩譲って十駆が無類の女好きだとして、それと先輩のところに必ず来るのには、何の関連があるのでしょうか?」
「確かに男らしくないし、女の人っぽく見えないこともないですけど」
「立花先輩の女装にだって引っ掛からなかったんでしょう?先輩で十駆を誤魔化すには無理がないっすか?」
「近くの村や町に女の人を探しに行っちゃう可能性の方が高いんじゃないですか?」
あとに続け、とばかりに疑問を並べた一年生達に、なぜか、なにを言っているんだお前ら?と首をかしげた三人。
ふと、顔を見合わせ。
「…、お前言ってなかったのか?」
「ええー、言った……と思うんですけど…」
「言おうと思ってて忘れてしまった、ということはないですか?」
「ううん、どうだろう。そう言われると自信が無くなってくるなぁ」
「おーい、―。それは忘れちゃ駄目だろう」
「だって、いままでずっと言ったと思っていたものですから」
ねぇ、三治郎、虎若。私、言ってなかったっけ?となかなかお目にかかれない困り顔で気かれるも。
「まず先輩が何のことについて言っていたつもりだったのか、そこからして分かりません」
「そっかー」
やっぱり言い忘れなのかなぁ、と肩を落としたかと思うとパッと顔を上げ。
「ええっと、」
「はい」
「とってもいまさらだとは思うんだけれど。なんだか言い忘れていたみたいだから、ね」
「はい」
「学園の人たちは皆知っているものだから、つい私もそのつもりで。うっかりしていたんだよねぇ」
「はあ」
「周りの人たちからも特になにも教わらなかったのかな?まあ、普通は、本人から直接聞くものなのか」
「……はぁ」
「でも、それにしてもやっぱり分からないものなんだねぇ」
「………………はぁ、」
だからなんなんだ、という思いを一年生全員が顔に出したとき。
つまりね?とが首をかしげる。
寄り添うように十駆も顔をすり寄せた。
「私、一応女の子なんだよね」
たっぷりとした沈黙のあと。
「「「「「えええええーーっっ!!」」」」」
心の底から上げた十三人の叫びは空気を震わせ。
遠く、学園長の庵まで届き、なんじゃうるさい!とお叱りの声を上げさせたという。
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