「ああ、そういやぁ、」
ふ、っと。
思い出したように空を見上げながら竹谷がつぶやいたのは、抜けるように青い空が目に眩しい日のことだった。
いつもにこにこ、天真爛漫な竹谷が顔に影を落として。瞳に浮かぶのは死んだ魚のような濁って淀んだ光。
いつもと違う、生気のカケラもない声に一年生達はビックリしてその手を止めたが、続いた言葉にその身体をぴしりと固まらせた。
「………予算会議が、もうじきだな…」
幸いなるかな、勘違い
〜予算会議に情けと容赦は禁物です。 1〜
「ああ、虎若、もっと頭を引っ込めて。危ないよ。一平ももう少しこちらに避けておきなさい。流れ弾とかが飛んでくるといけないからね」
いわれて出来る限り首を引っ込めて小さくなった一年生達は、互いの膝を寄せ合いながら不安げに傍らの先輩を見上げた。
「せんぱーい、一体、いつになったら終わるんでしょう……?」
「うーん、先輩方の気が済んだら、かな」
いつものほほんと、締まりのない笑顔を浮かべているその顔をさすがに今日ばかりは困り顔に変えて、はため息をこぼした。
本当に困った先輩方だね。
つぶやいた声は轟く爆音と怒号、悲鳴にかき消されて。
はもう一つ、ため息を落とした。
忍術学園で予算会議といえば、それは大乱闘を指す、といっても過言ではないくらいに例年それは大荒れになる。
暴れるのが本題なのか、日頃の鬱憤をぶつけるのが本題なのか、それとも予算をもぎ取るのが本題なのか、分かりきったことが分からなくなるくらいにそれは激しい。
低学年の者達、一年生もそれは身にしみてよく知っているが、上級生達はぶんどれた予算の額によってその後いかほどの苦労をするはめになるかがかかっているので尚いっそう必死だ。
予算会議が近づくと学園のあちこちで、黒い雰囲気を背負って秘密裏の計画を立てている各委員会の姿を目にするようになる。
既に、理路整然とした予算案でもって理知的に予算を取ろうというのではなくいかに会計委員会を負かすか、が計画の内容であることがはなはだおかしい気がするのだが。
とにかく、どこの委員会も清濁併せて持ちうる限りの手段をもって挑むのが予算会議。
それはここ、生物委員会でも例外ではなかった。
「予算会議に持っていくもの、どうします?」
三年生の孫兵がそう問えば、
「うーん、保健委員会に後々怒られると嫌だからなぁ……ジュンイチとかはやめとこう」
「はーい」
分かりました、と返事をして孫兵の向かいで紙を広げていた一平が、じゃあネネときみ太郎達もダメかな、と書き出した一覧の名前に墨で黒々と横線を引いた。
なにをしているのかって、それは予算会議に連れて―――もとい持ってゆく生物兵器を厳選している真っ最中なのだ。
「あ、孫兵、ジュンコさんも連れて行っては駄目だよ」
「え、なんでですか?」
の言葉に目を丸くする孫兵。珍しく年相応に幼い仕草に可愛らしいなあと頬を緩めつつ、
「ジュンコさん達は低体温だもの。立花先輩のことだからね、今年も盛大に焙烙火矢をまき散らすに違いないから、余波の火の粉をかぶって火傷してしまっては可哀想でしょう?」
「そうですね……じゃあジュンコときみこは留守番をしててもらうことにします」
「ジュンコときみこは不参加ーっと」
しゅしゅっとまた紙を筆が滑る。
「虫達はいろいろ持ってゆこう。あ、前みたいに壷や籠を落としたりして逃げ出しても全滅しないように半分ずつ分けて持ってゆこうな。どの虫が一番精神的にくるかなー」
表情だけはいつものように爽やかに、さりげに酷いことを口にしながら持参する虫達を選り分ける竹谷。
お前達もお留守番だよ、と飼育小屋に餌を差し入れつつが口にすると、あちこちから異口同音に不満そうな鳴き声がもれた。
あまりのそろいっぷりに孫次郎がビクンとすくんだがは気にすることなく、まあ、そんな酷いことにはなりはしないだろうから、とのほほんと笑っていた―――のだが、
「なぜだろう。なんだかもの凄い様相を呈しているね」
「………毎度のことじゃないですか」
「うん、毎度のことなのだけれどね?」
だからこそ、さ、とピッと人差し指を一本立て、
「今回あたり、そろそろまともになったりしないかなぁ、と期待したのだけれど」
「…………」
それは忍術学園に血の気の多い人物がいる限り、期待しても無駄だ、と。
一年生の自分達でさえ分かっているのに、どうして四年もいるこの人は理解していないんだろうか。
根本的に楽天的な自分達の先輩に、そろって深い息を吐いた。
さすがに最初はまともな話し合いだったのだ。まあちょっと、体育委員長が暴走したりいろいろ穴に落ちたり池に落ちたり(主に保健委員が)あったりしたけれど。
前回予算を半減された生物委員会は授業や実習に使う虫獣遁用の生き物の世話でどれだけ貢献しているか、をしたためたものを持って挑んだ。
わずかでも予算が上がらないかなーという期待を込めたあがきはきっぱりはっきり、一断されて終わったが。
ま、これ以上減らされなかっただけでもまだありがたいのかな…
更に減額された体育委員会を横目につぶやいた竹谷の言葉がむなしい。
早々に退場を命じられた生物委員会の面々は辺りに満ちる不穏な空気を察し、
「それにしても、よかったね」
辺りに轟く爆音、破壊音は止むことがないが、向こうの喧噪の中の委員会とは一線を画したどこかのんびりとした空間の理由はなにも、が人並み外れてのんびり屋だからなだけではない。
その理由は、いま一同が背にしている土の壁にあった。
「うん、やっぱり綾に頼んでおいてよかったよ」
備えあればなんとやらというしね、とにこにこ笑うに、土の壁をペチリと叩き三治郎が、
「それにしても、よく綾部先輩がこんなもの作ってくれましたね」
委員会違うのに。
一同が感心して見るのは、高さ三尺ほどに積まれた土の壁。横もだいぶ長く、詰めればまだまだ人が隠れられそうだ。
これのおかげでこの阿鼻叫喚状態の中でもこうしてのんびり話していられるのだ。
と綾部が仲が良いのは知っていたが、こと予算会議に関することはそうもいくまいと思っていたのだが、
「うん、さすがに、避難用の塹壕掘ってほしい、と言ったら渋がられたかもしれないけれどね。どうせ穴は掘るのだろうなと思ったから、それならば出た土をひとまとめにしておいてもらえないかな、と」
後は自分達で作るから、と駄目元でお願いしてみるものだね、案外あっさりうなづいてくれたと嬉しそうに語る。
とりあえずここに隠れて事が終わるのを待とう、と。一年生と孫兵、が避難してきてから早四半刻。
なれど事態は一向に収束の気配を見せない。
ちなみに。
我らが生物委員会委員長代理は喧噪の最中にいる。
六年生がいないため委員会内では最高学年になる竹谷は、頑張っていた。
頑張っては、いた。
けれど、一学年の差は小さく見えてその実、大きい。
実戦ばりの攻撃を交わし合う六年生の中、実力は及ばないため猛然と打って出るわけにはいかず、さりとて予算のためには引くわけにもいかず。
生物委員会同様六年生のいない火薬委員会委員長代理の久々知と共に、勝ち目のない戦いを続けていた。
焙烙火矢の余波であちこち焦げ、すっかり破れてしまった装束を土塀越しに見ながら。
竹谷先輩大丈夫かしら、と、やっぱりどこか緊張感のない声をあげるに一同はため息を付いた。
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