夢の旅路は晴れた日に
26話  兵庫水軍と君 後編






「それではずっとここに居るのもなんですし、山見番所でもご案内しましょうか。は組の皆にはこのあいだ行った人もいますが、君は初めてですから」

他の子に比べてずいぶんと色の白いはおそらく日に当たり慣れていないだろうから、この浜辺の強い日差しにあてられてはいけないだろうと思った鬼蜘蛛丸が残った四人にそう声をかけると、なぜか訳知り顔の三人から、大丈夫ですか?と逆に聞き返される。
ああ、自分の酷い陸酔いを知っているのだった、と、気づかってくれる子供達の優しさに嬉しくなるの半分、不甲斐ない思いに苦い笑いが浮かぶの半分といった複雑な思いがわき上がるが、そこはそれ。
今日はこの子達はわざわざ学園から学びに来てくれているのだから、

「大丈夫ですよ、そう長い時間でなければ。それに、今日は風が強いですからね」

強い浜風は潮の香を遠くまで運んでくれる。だから浜にほど近い山見番所くらいならなんでもないといえば、子供達がホッとした顔を隠さずさらすから。
こういう素直な優しさが、くすぐったくて、面映くて。ガラにもなく頬が赤くなりそうな思いを振り払うように、こちらですと歩き出した。






「ああそこ、昨日までの雨で滑りやすくなっていますから気をつけて下さいね」

そう険しいわけではないが高台の崖っぷちにたてられた番所に行くには山道を登らなければならない。
ぬかるんだ辺りを指差しそう口にすると、

「だって。気をつけてね、乱太郎」
「足元よく見てよ、乱太郎」
「乱太郎、大丈夫?」
「………ねぇ、なんで皆私を振り返って言うの……」

確かに私は不運だけどとさめざめ嘆く。


だって乱太郎は不運の固まり、保健委員だから。


ためらいもなくはっきり返され、なおも、その辺り特に滑りそうだよ、気をつけてね、捕まる?とかいがいしく世話を焼かれて、気づかいは嬉しいけれど嬉しくない、とため息をついた。
そんな一同を苦笑しながら見ていた鬼蜘蛛丸が、ほら見て下さい、と山道を登りきった先の開けた空間を指し示す。

「海がよく見えますよ。だいぶ登りましたから。ああ、ちょうど泳いでいる人達も見えますね」

さっきまでのへその曲がりようはどこへやら。わぁっと歓声を上げ仲良く並んで横を駆け抜けた子供達に、思わず笑みが浮かんだ。

切り立った崖の舳先からのぞく海は一面、まばゆいばかりに光を弾いて目をくらませる。
光に負けじと細く目を開き、あれ団蔵だ、呼んだら聞こえるかな、おーい!とはしゃいで手を振った。
夢中になったらそれだけに注意が向いてしまう子供特有の行動にそんなに身を乗り出しては誤って落ちてしまうのではないかとハラハラしながら、

「ふわー、海も空も真っ青、だー」
「天気がよくてよかったですね。昨日までは雨続きだったんでそうかと心配してたんですが」
「晴れてほんと良かった、皆でてるてる坊主作ったからかな」
「帰ったら顔書いてやらなくちゃ」
「今日は風も強いですから、雲も流れて空の色がよけい映えてるでしょう」

その分波が荒くなるんで危なくもあるんですがね、とほんのり眉をしかめる鬼蜘蛛丸に、やっぱり風が強いと危ないんですか?と尋ねた。

「そりゃあそうですよ。強く吹けば波が高くなりますからね。沖合で船に乗ってるときもそうですが、あんがい浜近くも危ないもんなんです」
「浅瀬でもですか?」
「むしろ、足が立つくらいまで戻ってきた時の方が危ないんです。寄せる波と、浜から返る波がぶつかって荒れた流れに巻き込まれますから。たいして深くないと侮っていると慣れた者でも流されてしまうこともありますし。だから、海で泳ぐときには注意して下さいね」

その言葉に、

「………だからっ、なんで皆して私を振り返るのっ!?」

涙目で、もうっ!!とむくれた乱太郎が地団駄を踏んだ拍子に、

「あ、」
「「「あ、」」」
「――――え、」

ぬかるみに足をとられ、慌ててバランスをとろうと振り回した手がトン、と。何かに当たったような気がして。
嫌な予感に慌てて振り返ると、

「っ、…!」
「危ないっ」

びっくり、というように大きな目を更に見開いたがゆっくりと、ゆっくりとその体勢を崩して倒れこんでゆく―――――





崖の、先に。





慌てて手を伸ばし、焦った鬼蜘蛛丸も駆け寄るが、その距離はちょっとだけ広すぎた。
わずかな差で届かなかった手。
ゆっくり、ゆっくりと。
まるで時が止まったかのように風景が流れる。
仰向けに、伸ばした手で空をかいたその姿にひゅっと息を飲んだ。
小さな身体が崖下に消えてゆくのを目にしながら、もう間に合わないと知りつつ崖に飛びついた。

ここは高台の山見、切り立った崖の遥か下には岸壁に叩き付けるように寄せる荒れた波がある。あれに巻き込まれ、壁に叩き付けられれば無事ではすまない。
そしてそれ以前に、高くから叩き付けられた水面は、地面と遜色ない固さがある。いわば、山の中で高い崖から落ちるのと同じなわけで……。

脳裏に浮かんだ最悪の事態に、四人は自身も落ちんばかりに身を乗り出し、

―――っ」

仰向けのまま落ちてくは怯えたようにギュッと手足を縮めたかと思うと――――
くるくるっと空中で二回転し、水面直前で一気に伸ばした身体で指の先から一直線に水を斬るように。


さんっ、と思いのほか小さな音と水しぶきをあげて水面の向こうに消えた。



「「「「…………………え?」」」」



なんの問題もない、むしろ素晴らしい飛び込みだ。

手を伸ばした格好のまま、目にしたものが信じられなくて。
ぱちぱちと瞬きをくり返す一同の視線の先でぽっかり浮かぶ上がった小さな頭は、浜辺の方向を確認すると崖沿いの荒れた波をものともせず、すいすいと平泳ぎでもって浜へと泳ぎ始めた。





騒ぎを聞きつけたは組の皆、先生、水軍の皆さんが並ぶ浜辺へ、全く危なげなく泳いで戻ってきたは、

「………えと、…泳げたんだ…?」
「……一応」

いや、明らかに一応って程度じゃなかったんですけど。

「どっちかっていうと、飛び込みの方が得意」
「そうか……………それは、凄いね…」

本当にこれが今しがた高い崖から落ちたばかりの人間だろうか。
ジャー、と息は多少弾んでいるものの依然表情にとぼしいまま服の裾をつまんで水を搾る姿に、遠目に一部始終を見た兵庫水軍の海賊達もぽかんとした顔だ。

「……………あの崖、七間はあるんだが…」
「……びっくりしました」
突然だったんで。


じゃあ突然じゃなかったらびっくりさえもしなかったんだろうか。

恐る恐る、大丈夫?とは組の子供達に聞かれて、帰りまでに乾かなかったらどうしようこれ、と的外れな心配を返す様子に。
負けた……と向こうでがっくり膝をつく網問が先日度胸試しの飛び込みで体勢を崩し強かに身体を打って涙目になっていたのは、水軍仲間での笑い話。






「それでは、」
「「「「「お騒がせしましたー」」」」」
「ははは……」

今回は行程にちょっと時間がかかるからといつもより少し早めに海を後にしようと並んだ良い子達。
その一番端に立ったは、火に当たって乾かしてみたがいまいち乾ききらなかったため海賊さんの着物を貸してもらったが、丈がまるで合わなかったため袴は無しで、まるで小袖のようになってしまっている。

災難だったなぁ。でもこれに懲りずにまた海に遊びにきてくれよ。次は替えの着物でも担いでくるといいさ、なぁ?、などなど。
水軍の皆に笑いながら代わる代わる頭を撫でられ、声をかけられ。
力一杯元気いっぱい、問題もいっぱいのは組に慣れきっている海賊達にはどうものような子は物珍しくて、ついつい構い倒してしまう。
思う様撫でられ髪がすっかりぐしゃぐしゃになる頃、ようやく解放してもらえた。
そのによろりと歩み寄ったのは、

君っ!!」
「はい」
「僕、負けないから。頑張るからねっ」

がしいっ、と指先が白くなるほどの勢いで手を握ってくる網問の必死な様子の意味がまるで分からなかったので、

「絶対、負けないからっ!」
「……………はぁ、」


頑張って下さい?


ことり、と首を倒して、そう尋ねた。








※ 間:尺貫法の単位の一種。
   一間=六尺=1.818メートル
なので七間あまりは12.726メートル。
というわけで、元水泳部員だったでした。ちなみに種目は高飛び込み。
一般的な高飛び込みの一番高い台は10メートルなので、いつもよりもう少し高くてさすがにもちょっと驚いたことでしょう。
でもきっと、余分な技やらなくていい分早く体勢立て直せるからそんな難しくはなかったな、とか思ってたり。
ちなみにこの後。泳ぐの上手だね、海賊さん達みたいにすいすいって。どのくらい泳げるの?と目を輝かせる良い子達に、あんなには泳げないよ体力無いもの、と答え、納得されるですが、がっつり泳ぐ水泳部に所属していた彼の『たくさん泳ぐ』は遠泳4キロ、とかなので(笑)
今じゃ頑張ったって1キロも泳げないもんなぁ…と。

走るより、泳ぐ方が得意なようです。





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