(…………眠れない…)


隣で眠る二人を起こさないように静かに、ころりと寝返りを打った。
すー、すー、という微かな呼吸音が聞こえる。兵太夫と三治郎はよく眠りについているようだ。
布団から飛び出した兵太夫の腕に手を伸ばして布団の中に戻し、めくれ上がった端を戻してやる。
どこからかギンギーンという鳴き声が聞こえてきた。
あれはなんという生き物だろうか?
初めて聞く鳴き声に、遠いところへ来たのだ、という実感がわいた。
今日の月は丸いらしい。扉の隙間からさした光に照らされた床の一部に、ささやかな浮きを見つけ、

(あれはなんか踏んだらまずい仕掛けがあるところだ。伝…吉?とかいうやつが吹っ飛んでったっけ。……あれは凄かった。他の仕掛けは忍者村で見たようなやつだったな。懐かしいなぁ。小学校の修学旅行で行ったんだっけ?体験コーナーとかあってさ……)

ぎゅう、と目を硬くつぶってもう一度開ける。何も変わらない光景が映った。
何も変わらないーーー『忍術』学園という場所。

「忍者って本当にいたんだ……」

本の中だけのことだと思ってた。

呟いた声は、自分のものじゃないみたいに弱々しかった。




夢の旅路は晴れた日に
7話  夜と過去と君  前編





には、誰にも言っていないことがある。
両親にだって言わなかった。これから先も、きっと言わないだろう。
それは、言っても誰にも信じてもらえないだろうと思うようなことだからだし、言って信じたところでどうなるものではないからだ。




という人は、元はここではない世界の人間で、死んで生まれ変わったようです、とは。




世間様ではニュースにもなるような大問題の大学入試もあっさり推薦で決まって。
友人一同にずるいぞお前だけと多大なブーイングを食らったりしていた高三のあの冬の日。
通い慣れたはずの駅の、わずかばかりの階段から落ちて。
気がついてみたら視界に入る世界の全てがあり得ないほど激変していた。
更に言えば自分の身体も、つたい歩きがやっとなくらいの乳幼児になっていて。驚きのあまり叫んだ声は、ふぎゃあ、という情けない泣き声に変わって出てきた。

泣き声に驚いて飛んできた綺麗な若いお姉さんの腕の中に抱えられながら。
母さんはここにいますよ、泣かないで、いい子ね、とあやす声を聞きながら。
おそらく自分はあのまま死んで、なぜだかは知らないが前世の記憶を持ったまま、生まれ変わってしまったのだろう、と。
前世の方が未来で、今生の方があきらかに過去っぽいのは気になるがきっと、俺なんかでははかり使れない何かが合ったのだろう、と。


たとえどんなに納得がいかずとも、無理矢理にでも理解しなければならなかった。





初めてお会いする、かつての自分とあまり変わらない年の『両親』とやらに心配されながらどん底まで落ち込むこと三日間。

死んじゃったものは仕方ない、という悟りの極地に辿り着いた。

ら、すこーんと楽になった。
だって今さら、納得いかん!と叫んだところでどうなるもんでもないんだろう?
それは、死んだ実感がなくて、なげく家族や友人達をこの目で見ていないからこそ思える、開き直りなんだろうけれど。
せめてもだが、死んだままで終わるよりかはもう一度、生まれて来れてよかったのかもしれないじゃないか、と。


今生にてようやく知ったが、どうやら俺は随分と諦めのよい方だったらしい。


この新しい『自分』として、これからはしっかり生きてゆこう。
今度こそ、しっかり、強く、生きてゆこう。

そう、決意したところで。
俺は早速困ってしまった。それは軽いけれど切実な問題。


このくらいの子供って、どんなだっただろう?


前の俺には四つ年下の妹がいたけれど、彼女が二歳ほどの頃の記憶なんて遠い記憶の彼方。親戚や近所にもこのくらいの年の子はいなかったし…。

子供としての振る舞いが分からないまま。
ええぃちくしょう動きづれェな、口も回らねェし。違うってそうじゃねェ飯はさっき食ったばかりだろうが親父さんよ!?と相互理解の難しさを痛感しながら、慣れない幼子の生活をそれでも一生懸命送ってみた結果。

一年後には、俺は非常に浮いた存在の三歳児になっていた。
あの頃はまだ隠す手立ても取り繕うすべも心得てなかったからなのだけれど、よくよく考えれば分かったはずだ。

普通、三歳児はこんなにはっきり喋らない。
話の内容を起承転結でまとめたりしない。敬語は使わない。気遣いはしない。人に頼ることをためらわない。物事の見通しを立てたりしない。

他にも数え上げれば山ほど出てくることだろう。
いまから思えば、やっちまったな、って感じだがしかたあるまい。
なにしろ精神年齢は二十一歳。
新しい『父親』よりも一つ年上なのだから。



結果として、超!が付くほどに浮きまくった俺は近所のおじさんおばさんによく出来た子ねと言われつつも奇妙なものを見るような目で見られ。
当然のことながら友達なんてものはただの一人もいないという、なんとも寂しい少年時代を送るはめになった。

閉鎖的な狭い世界で暮らすものは異端を嫌う。
それはしかたのないことだと分かってはいた。

それでもやはり、辛いものは辛いのだ。


だからそんな、教えてもいないことを既に知っていて、話す、子供らしからぬ俺を、『は物知りなのねぇ』と笑って受け入れてくれた両親には、どれだけ感謝してもし足りない。
おかしいという思いは多々あったろうに。
俺に気付かせないようにいつも笑っていてくれた。


俺と遊んでくれるような物好きな子は近所にはいなかった(し、仮に誘われたとしてもいったいどうしたものやら)から、必然的に俺の毎日は両親と一緒だった。
母さんは年若いながらも裁縫が上手いらしく、仕立ての内職などを請け負っていた。
(こういう、雇われて針仕事をする人をお針子と呼ぶのだとはそのとき知った)
囲炉裏の側で着物を縫う姿をじっと見ていると、もやってみる?と笑いながら聞かれたのでうなずいてみた。

当時、俺四歳。

四歳児に針仕事を進める方もなんだが、やってみる方も、なんだかなぁ。
もちろん小さな手ではろくに針を通すことも出来なくて。父さんの笑いを誘うに終わった。
だが、まあ、いい時間つぶしにはなった。なにしろ、俺の時間は有り余るほどにあるのだから。

亀の歩だろうが練習を積めば技術とは向上するもの。
たっぷり三年ほどかかったが、七歳の終わり頃にはなんとか一人で着物も縫えるようにまでなった。
そういえば俺は前世でも、なぜか強制必修だった家庭科が得意だったもんだ。
授業で作った弁当袋とエプロンと、なぜかはんてんは母が喜んで使ってくれて、ちょっと恥ずかしかった、と当時を思い出して懐かしくなってみたり。



家計の足しになれば、と簡単な繕い物や仕立ての仕事を回してもらいだしたのが八つの頃。

それからは、囲炉裏のこっちで母さんと俺が縫い物をして、向こうで父さんがワラを打って縄を編んだりとかしつつ。
明日も晴れたら芋を植えようか、その前に山に行って山菜を採ってきてよ、おい久しぶりに魚でも釣りに行くか?なんて。
ありふれた会話をしたりなんかして。



その頃、ようやく。

俺はこの世界は、俺の知るような過去の世界ではないということに、遅まきながら気付いたのだった。





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