とてとて、と軽い足音を立てて人気のない廊下を歩く。
今日は天気がいいので外で遊ぼう!という嬉しいお誘いをすまないながらも断って。
なんたって、今日は一昨日から決めていたのだ。

そう。図書室へ行こうって!




夢の旅路は晴れた日に
9話  中在家長次と君





ついて行こうか?というのを断って、図書室のルールについてのアドバイスだけ受けてきた。
図書室の、というか図書室の主の、というべきだろうか。
とりあえず、ちゃんと手は洗ってきたぜ!

この時代、本はとても高価なものだ。
現代で考えるなら、特別閲覧室に並んでいる本達のようなものと思えばいいのだろう。
そう思えば、図書委員長の言うこととやらも別にうるさいものではないと思う。
あっちは、読みたい本はカウンターで言って持ってきてもらわなきゃいけなかったし。私語厳禁でうるさくしたら退出ってのも同じ。
そもそも入退出には氏名の記入と許可が必要だった上に、バッグ持って入ろうとしたら注視された。

いやいや、さすがにかすめ取ろうなんてしないって。





入口で小さく、失礼しますと声をかけて入る。
松葉色の忍び装束を着た大柄な人がカウンターにいるのが見えた。おそらくあれが中在家先輩とやらであろう。
天気がいいと皆考えることは同じなのか、室内には俺と先輩の他には二、三人しか利用者がいなかった。
これならゆっくり、落ち着いて本が読めそうだな。
入って手前の方の棚が低学年用の本だよ、という教えに従って近づく。
ふっと、少しカビ臭いような紙の匂いがした。
ああ、これは学校の保管用の書庫で嗅いだ匂いに似ている、とまた少し懐かしくなる。
適当な本を一冊選んで、近くの机でそれを広げる。村で暮らす親子を描いた軽い読み物のようだ。

久しぶりの本にウキウキしてくる。



この世界に生まれてからは本から遠ざかっていたが、かつての俺は無類の本好きだった。
かつての父親の家訓の影響もあってだが、本の虫と言ってもよかったと思う。
就学前は近くの図書館が冊数無制限なのをいいことに一度に二、三十冊借り。
就学後は暇さえあれば図書室に通い。

友人達には生きる伝説だなどとからかわれたことも。
あまりに図書室に通いつめたため勉強の時間がなくなると心配した教師に、入室禁止を食らったりしたのでね。
高校生のときに至っては、三年間一度も図書委員だったことはなくむしろ他の委員会で委員長まで勤め上げたというのに、ほとんどの人に図書委員だと思われていた。
(なにしろ、当の図書委員の大半も勘違いしていた)



懐かしくもしょっぱい思い出に浸りつつも、読み進める手は止まることはなく。
低学年用で楷書で書かれているためもあって、すいすい読むことが出来る。
……全部の本がこうだったらいいのに、と、たぶんミミズののたうったような字で書かれているであろう、高学年用の専門書の並ぶ棚を横目で見た。

読みたいなぁ、あれ。

本好きにとって、あるのに読めないのは辛い。
書けなくていい、でも絶対読めるようにはなろう、できれば早々に、と心に決めてまたページをめくった。







読み終えるたびに本を替えること数度。
灯りがないと読むのは辛いなというくらいにすっかり日は落ちきって。


今日は本を読むために時間を空けようと、昨日一昨日、頑張って仕立てのノルマを済ませたかいがあった、とほくほくしながら。いま閉じた本の続きの一冊を持ってカウンターに近づく。
気付けば、室内にはもう俺と中在家先輩の二人きり。
顔を上げた先輩に本を差し出し、

「貸し出しの、手続きを」

お願いします、と頭を下げると、じっと見られた。
名前を言えということだろうと思い、

「一年は組、です」

先輩はちょっと考えてから、ぺらりぺらりと横の名簿をめくりだす。
けれどたぶんそれにはまだ自分は載っていないんじゃないかと思い、

「入ったばかりなので」

と言うと、近くのメモ用の紙と筆を渡された。
漢字が分からないので書けということだろうと察して名前を書く。

……書きにくい。

ぐにゃりと崩れた文字達に、ああ、と心の中でため息をついた。
筆なんか嫌いだ。シャーペンが懐かしい。
そのぐにゃぐにゃを見ながら先輩が綺麗な文字で貸し出しカードを書いている間、ふっと手を見ると、

「……」

親指の内側についた墨が。ああさっきか、と気付いて、

「……期限は守れ…」

ぼそぼそ、と先輩が本を差し出すのを手のひらで止め、

「待って下さい」

瞬きで理由をうながす先輩に、右手を差し出して親指を見せた。
そこには指の腹にちょんとついた墨。


少量だと侮るなかれ。墨は危ないんだぞ、まだ乾いてないから触ったら本についちゃうし。乾いても汗かいたらまた浮いてつくし。
親指なんて特に気をつけても触っちゃうところじゃないか。本って高いのに。
もし弁償しろ、とか言われたら俺無理。うちの家計にはそんな余分な予算はありません。
っていうか消しゴム無いのが辛いんだよ。
あっても墨じゃ消えないけどなっ!


「手、洗ってきます」

と言うとうなずいた。
こう見ると、皆は中在家先輩は無言の威圧感があって怖いとか言うけど、俺自身あんまりしゃべらない側だから平気。
っていうか、むしろ生き物としては可愛らしいと思うんだけどな、などと。
精神年齢としては二十八歳の年上目線で思いつつ外の井戸に向かった。



せめてポンプ式にできないもんかな、これ。水が入ると桶が重いんだよ、と心の中で文句をつけつつ手を洗って戻る。
もう一度チェック。よし、落ちてる。
さ、渡して下さい、とばかりに手をカウンターに差し出せば、

「?」

なぜか撫でられた。

「…………」

おっきな手でガシガシと撫でられる。
こつこつとしたタコやマメの目立つ手は父さんの手に似ていたような気がして。
そういえばよく撫でられたな、と、その感触が懐かしくて思わず目を細めた。

そんな俺の頭をもう一度撫でると、懐かしい手に似た人は本を渡し、

「……本は、好きか」

こくん、とうなずくと、向こうもうなづき返した。

………なにがしたかったんだ、中在家先輩。





よく分からないまま、本を抱えて部屋に戻る。
とりあえず、今日は戻ったら宿題をして、明日は裁縫を早めに切り上げてこれを読もう。そして読んだらとっとと返さねば。
なんたって返さないと次の本が借りられないからな。

貸本なんて借りたら月にいくらかかるか分からないが、ここにいる間はどんだけ読んでもタダだ。
読める限り読んでおかねば!と貧乏性丸出しで、ぐっと握りこぶしを作った。






あまりに長次が無口すぎて、長次視点は無理でした(笑)




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