食堂の勝手口の外を通ったら、転げ落ちたらしいジャガイモを一つ見つけた。
すっかり芽が出てしまって、食べても美味しくないだろう、それ。
そういえばこれも不思議だ。
元の世界の『室町』ならば、ジャカルタ伝来のジャガタラ芋ことジャガイモを始め、大根だの白菜だのの舶来野菜はまだ無いはずだが、この世界はなんでもアリアリだ。
ま、食生活が豊かになるからいいけど。
それでもなぜか砂糖が高価なのはこっちもなんだよな。砂糖か。育てて売ったらいい値になるんだろうけれど。
この緯度ではサトウキビも砂糖大根も難しいし、と考えながらそれを拾った。
一つきりの、それも芽の出たジャガイモなんて料理に使えない。
なら、育てるしかないだろ?
痩せた土地でも手をかけなくても育てやすくて大量収穫。ビバ、芋。米の代わりにもなるしな。家庭菜園は節約生活の基本だぜ。
育てて春休みに食うか、食堂に売ろうっと。
偶然通りがかった学園長に、畑を作っては駄目ですか?と聞いてみる。
俺の手の中の芋を見てちょっと目を見張ったが、かかっと笑って、いいぞぃ!との事。よっ、太っ腹。
ついでにおばちゃんにサツマイモのツルだとか、腐ってて食えないトマトの種のあたりだのをもらって、育てやすそうな日当りのいい場所を探しに歩き出した。
夢の旅路は晴れた日に
11話 保健委員と君
そういえば先輩、気付いてました?
ある日、後輩の三反田数馬が休憩のお茶のときにそう口にした。
「なんだい?」
「畑ができてるんですよ」
「は?」
ずいぶんとまた、突拍子もない切り出し方だな、と思いつつ詳しく話を聞いてみると。
このあいだ薬草を摘みに裏庭の薬草園に行ったら、その横の地面が耕されていまして。みると畳一畳にも満たない、小さな畑が。
見慣れない一年生がせっせと掘ってたんですよ。
あ、許可は取ってあるみたいですよ?ちょうど学園長が近くにいて笑ってみてましたから。
不格好ですが杭打って縄張って『入るな』の看板がついてて。一応畑の体裁は整ってましたねぇ。
植えてあるのは芋かな?葉の形からたぶんそうだと思うんですけど。
他にも色々ありました。
その子がときおりきては世話しているようです。
けっこう順調に育っていて、見てるとけっこう楽しいんですよ?
「―――という事なんですけど」
そう締めくくって、ずずっと茶をすする。
「へぇー…それは知らなかったなぁ」
そう言う伊作に、先輩は中で治療にあたることかトイペ補充に走ることが多いですもんね、とうなづく数馬。
遠慮もなしに皆怪我を重ねてくれるので、保健室は忙しいのだ。こんなお茶飲んでまったりしていられる時間もけっこう少ない。
―――不運による産物が減ったら、毎日お茶できるようになるのだろうが。例えば薬棚が倒れたり、干していた薬草がイノシシに蹴散らされるようなことが無ければ…。
ああ、それなら俺も見ましたよ、と薬包みの紙をシャキシャキ切っていた左近が顔を上げた。
「薬草園の左横でしょう?結構ちゃんと作ってるんですよね、前に林から落ち葉まじりの土を運んですき込んでるの見ました。ちょっとずつ拡大してるみたいだし。いまは一畳半くらいありませんか?」
「あ、じゃああってたんだ」
「なにがですか?」
「いや、大きくなっている気がするのは俺の錯覚かと思ってたから」
ひく、と左近の口の端が引きつった。
「いや、先輩が見たって頃の倍の大きさになってるじゃないですか、気付きましょうよ」
「だよなー。さすがにおかしいって思ってたんだ」
うん、とうなずく数馬にため息がこぼれた。ええと、と気を取り直し、
「最近は、端の方にまた別なのを植えだしたみたいで、」
ヨモギとか、タンポポ、クズにオオバコ、ゲンノショウコも、と左近が挙げた名前は、
「それって、薬草じゃないか」
「そうなんです」
野山を歩けば誰でも手に入れられるような簡単なものだけど。
ヨモギは揉んで血止めに。
タンポポの根は利尿、健胃。花が咲く前の根は特に解熱や発汗の効果。
クズは発熱に、オオバコは種が咳止めになるし、ゲンノショウコは傷や火傷に効く。
明らかに薬効を期待したラインナップだ。
「保健委員の子…ではないんだよね?」
「そうですね、見たことない顔でしたし」
過去に一度数馬の名前が出てこない、という前科があるものだから慎重になる伊作に、なぁ、と数馬と左近がうなずき合うのを見て、伊作は、ううんとうなった。
植えられているというそれらは本当に珍しいものでもなんでもなく、山間の村にいけば親から子へと教えられるような他愛もないものだけれど、わざわざ畑で育てよう、ということは薬に興味があるということだろう。
保健室があって新野先生という腕のいい医者がいて、安心して……という言い方はおかしいが、怪我も病気もできる学園内では珍しい。
知識だけなら皆持っているのだけれど。
よし、と残ったお茶をぐいっと飲み干して。
「僕もちょっと見てこよう」
「いってらっしゃい」
「あ、善法寺先輩、ヒキオコシが残り少なくなっちゃったんで、」
「うん、分かった。帰りに摘んでくるよ」
はい、と空の湯飲みと小さなかごを交換して部屋を出た。
「わー…」
ほんとだ。そのつぶやきは風に流されて消えた。
最近来ていなかった薬草園のそばに寄れば、その横には後輩二人が言ったように確かに畑があった。
サツマイモの葉。ジャガイモの葉。あの大きい葉は里芋だろう。
……芋好きなのか?
奥に伸び始まったのは何かよく分からないが、葉の形状から察するにナス科のなにかだろう、とあたりを付ける。
「………これか」
そして手前の方に列になって並ぶのは。
『入ルベカラズ』と下げられた札にごめんねと謝って、手を伸ばして葉や茎の状態を見る。
「んー」
思いのほか生育状態がいい。さすがに本業の保健委員ほどではないが、これなら十分使える。
土作りもしっかりしている。腐葉土をすき込んだと言っていたしな、と並ぶ薬草を次々に確認していくと、
不意に気配を感じて振り返った。
歩いてくる子供の装束が井桁模様なのを見て、ああこの子が、と分かった。
たしかに見たことのない子だ。そして、すごく痩せている。
思わず、体重は何キロ?ちゃんと食べているの?と詰め寄りたくなるのをぐっとこらえて(さすがに初対面でそれをやったら警戒されるだろう)、にっこり、と人当たりの良い(そして友人達にはだましていると言われる)笑顔を浮かべて、こんにちは、と話しかけた。
「………」
その子供は一歩手前で立ち止まって、伊作のことをじいっと見た。
「ああ、ごめんね突然。実は、薬草を育てている子がいるって聞いて、つい気になって見に来てしまったんだ」
君の畑だよね、と聞くとこっくりうなづいた。
……口数の少ない子だな。長次みたいだ。
いや……
ちら、と、子供の手の辺りを見る。新しく掘ってきたらしい草が数本と小さなクワが握られていて。
この大きな目とじっと見る癖、整ってはいるが表情のない顔と何より手が土で汚れているあたり、某四年生に似ている、と思った。
「よく育てているなぁと思っていたところなんだよ。これの使い方は誰に教わったの?お母さんかな?」
もう一度、うなずく。
そうか、と近づいてその頭を撫でてやる。手のひらの下から見上げてきた顔はなんだか不思議そうだ。
誉められることに、慣れていないのかな?まだこんなに幼いのに、と悲しく思って、せめてもともう一度その頭を撫でた。
、と名乗ったその子が採ってきた薬草を黙々と植えていくのを横でじっと見守る。
手伝おうか?と言ってみたが断られてしまった。……なかなかに慣れた手つきだ。
土をかぶせているその脇でもう一度、植えられた薬草達を見てゆく。
ヨモギ、タンポポ、クズ、オオバコ、ゲンノショウコ。
小さな傷や発熱、腹痛などの軽い症状ならば自分でどうにかしよう、という思いの見えるこの子に。
「……………ねぇ、?」
「?」
「知識をつけるのも、使えるようになるのも大切だよ。きっとそれはこの先役に立つと思うから。けれど、ここにいる間くらいは、何かあったらすぐ保健室に来てね。いつだって、誰かいるから」
ね?
そう言うと、少し止まってからこくんとうなずいた。
僕は、それを見て。
ああ。
ああ。
うなずいたけれど、きっとこの子は来ないだろう、と。
過剰なまでにひとを気遣って。
本当に辛くなるまで、ひとを頼ることはしないだろう、と。
少しだけ。
悲しくなった。
数馬はきっと天然だと信じています。
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