その子に気付いたのはいつ頃だっただろう。
気付けばそこにいた、というのが一番正しい。
図書室は、『静かに』というルールがあるのだからもちろん静かにしてもらうのが良いのだけれど、そうでもない人も時もわりと多い中。その子はあまりにも静かなものだから。
気付かなかったけれど実は来ていた…という日もけっこうあったのではなかろうか、と思う。
ほんとに本が好きなんだな、とその小さな背中を見て、雷蔵はそっと微笑んだ。
夢の旅路は晴れた日に
14話 図書委員と君
その子は。
たいがい、授業終わりか夕方に一人で来て、そっと本を選んで端の机で静かに読んで、気付けばそっと帰っている。
貸し出しと返却の時だけカウンターにきて、その時もほとんど話さないは存在感が薄く、最初はあまり印象にも残らなかった。
一度、きり丸が名前を読んで話しかけているのを見て、ああ、ちゃんと話す相手がいるんだな、と母親のようなことを思ってほっとするくらい、その子はひっそりと図書室の空気と雷蔵の意識に溶け込んで。
カウンターの内側に無言の広い背中を見つけるとほっとするように、机の端に小さく細い背中を見つけると微笑ましくなる。
一度も、事務的なやり取りではない普通の会話というものをしたことのない相手に、そんな感情を抱くのはおかしいだろうか?
でも、だって似ているのだ。
同じようにもの静かで表情が出にくくて口下手で本好きの、我らが委員長に。
それにあの子供は本に対する扱いがとても丁寧だし。読む時も気を使ってページをめくっているし、返却期限は必ず守るし。
皆こうだったら良いのに、とため息つきながら、期限のすっかり切れた貸し出しカード三枚……それもみな同じ、『潮江文次郎』と書かれたそれを見下ろした。
ちらり、とカウンターの内側の端に座り本に目を落としている長次に目をやる。
この分じゃ、また近々潮江先輩とのトラブルがあるんだろうな……その時はどうか場所は図書室以外であってほしい、と雷蔵は頭に血が上がると我を忘れて大惨事を繰り広げる先輩二人を思って頭を痛めた。
「どうしたんすか?雷蔵先輩?」
「ああ、なんでもないよ…。あ、きり丸、これも本棚に戻しておいてくれる?」
「はーい」
あごの下まで積まれた本を持ち上げて、タタッと足音軽く棚の影に消えた一年生を見て微笑んだ。
なるようになるさ。
これはあの子達に教えてもらった開き直りだ。
とんとん、と。入り口の扉を叩く小さな音に雷蔵は顔を上げた。
位置が低めだし、とても控えめの叩き方に、あの子かな、と思えばやはり、
「………」
そっと細く開け、無言でぺこんと頭を下げると滑り込むように中に入って、音のしないように静かに扉を閉める。
井桁模様の忍び装束を着たその子は足音も小さい。
それは、足音を消す技術を身につけているからではなく単に身が軽すぎるためだろうけれど、とその細い身体を寂しい思いで見つめていると、
「あれっ」
?といつの間にか隣に戻ってきていたきり丸が声をあげる。
声をかけようと片手を上げたところで、
「………」
、というその子は真っすぐ長次の元へと歩み寄り、気配に顔を上げた長次と目が合うと、
「………」
「………」
ぺこん、と頭を下げ、ととっと長次の座るカウンター前に小走りに寄った。
隣のきり丸のあげた片手が固まっているのが分かる。
これからなにが起こるんだろう、と思っていると、
「……ボソボソ……」
「この前の、続きですか?」
「……ボソボソ……」
「じゃあ、これを先に…」
「……ボソボソ……」
「はい」
から返却の本を受け取り、自分の横に取り置いてあった本の貸し出しカードを書き始めた長次を、信じられないものでも見るかのように目を見張って見つめる。
隣のきり丸も、向こうの本棚を整理していた二年の能勢久作も同様のようだが、雷蔵にはそれをとがめる、という思いはなかった。なにしろ、自分も同じようにびっくりしていたものだから。
だって………。
あの、中在家先輩が、学園一無口な先輩が、話をしている?それも、六年生でも図書委員でもない相手と!?そして、自ら本の取り置きまで!!
「……ボソボソ……」
「いえ、そうなんですが…」
「……ボソボソボソ……」
「………」
「……ボソボソ……」
「立花先輩は……潮江先輩を追いかけて行ってしまわれたので……」
「……ボソボソボソ……」
聞こえる端々につい興味をかられ、なんの話をしているのだろう、と思わず図書委員達が身を乗り出した瞬間、
「!!」
手続きの終わった本を抱えてぺこんと頭を下げたの頭に、ポンと手を置いて、
「……また、何かあったら来い…」
「はい」
ガシガシとちょっと荒く頭を撫でる長次と目を細めてそれを受け入れるに、今度こそ顎が落ちた。
図書委員ではないのに長次の声を聞き分け、なおかつ頭を撫でられるというたいそう希有な少年は、入ってきた時と同じように、ひっそりと図書室を出て行った。
残されたのは、委員達が固まっていることに不思議そうにしつつも読みかけの本に目を戻す長次と、いつまでも、いつまでも固まり続ける図書委員達だった。
その晩、雷蔵は。
自室で三郎に真顔で、
「僕今日、白昼夢を見たのかもしれない……」
と、語った。
は主に綾部に似ている、と評されますが、
図書室で彼に出会った人は長次に似ている、と評します。
どちらも、無口で表情に乏しくマイペースです。
いえ、長次はたまに笑いますが。フェアリー、な感じで。(笑)
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