とん とん、と叩かれた戸。顔を上げて、
「?入っていいよ」
そう声をかけるとそうっと開いた戸から、案の定の顔がのぞいた。
夢の旅路は晴れた日に
17話 庄左エ門と君 前編
庄左エ門は声もかけてないのにすぐだって気づくよね、どうして分かるの?
そう聞かれたことがあるけれど、庄左エ門はいつも笑って答えた。
分かるよ、と。
元々一年生の自分達の部屋を訪れるものは同年のものくらいでそう多くはないし、わざわざ戸を叩くものはもっと少ない。たいていが戸の前から庄左エ門ーと呼びかけるか、呼びつつ開けるか、だ。
更にこんな丁寧に戸を叩くものなんて一人しかいない。
部屋の中に泳いだ目に、ああ、と気づいて、
「伊助はいま委員会だよ。遅くはならないって言ってたから、待ってる?」
今日は土井先生が張り切ってちょっと多く宿題が出た。
ちょうどいまやっていたところだからよかったら一緒にやらない?と開けた机の端を指して伝えると、こくん、とうなづいて忍たまの友とプリントを取りに部屋に戻っていった。
「あ、なんだ。だいぶ終わってたんだね」
「………」
「じゃあこっち座って。分からないとこあったら聞いてね」
うなづいて、筆をぎゅっと握りしめてプリントに目を落とした姿にふっと笑みが浮かんだ。
気づかれないようこっそりかみ殺して、同じようにプリントに目をやる。残りは数問、一気に終わらせてしまおう、と自分も筆を手にとった。
同室の伊助は幸いに予習も復習も一通りやるタイプだったけど、他のは組の面々は、自分の興味のあること意外はさっぱり(兵太夫と三治郎は特に、からくりやその参考になる本は山のように読みあさってりるくせに、その他には興味がさっぱりだ)なタイプが多くて。
そのためそう見えるってだけで、人が言うほど自分はそんなに勤勉なつもりは無かったから。
庄左エ門は真面目だな、と誉められるたびに面映い感覚と、他の子たちのように得意とするものが無い自分にはこれだけ、といったほんのり否定的な気持ちとがあった。
だから、同じように学ぶ姿勢を見せる子がは組に入ってきたことが嬉しくて。
さり、と筆が紙の上を滑る音が小さく聞こえる。
自分とは違う、少しゆっくりしたその音に、ふっと笑みが浮かんだ。
丁寧に、丁寧に、筆を進めることに一生懸命になって少し前のめりに、姿勢の崩れたその小さな頭を思わず撫でると、不思議そうに顔を上げる。
「?」
「ごめん、なんでもないよ」
「………」
きゅ、と首を傾げて少し考えたかと思うと
「わ、」
たしたし、と自分がされたのと同じように、慣れない手つきで庄左エ門の頭を撫でると、びっくりした様子に満足げに、プリントに戻っていった。
ぱちくりと目を瞬かせ、そっと撫でられた辺りに手をやる。
初めてされた仕草に驚きが引くと、思わず頬が緩んだ。
は賢い、と思う。
最初は手つきが覚束なくて、暗算した方が遥かに速くて正確だ、と庄左エ門に逆に目を見張らせた算盤だっていまじゃ人並みになったし、のたうったミミズのようだった字は土井でなくとも普通に読めるようになってきて、読む方はもうだいたい支障が無い。
学園に来てまだそんなにはたっていないというのに。
文字の壁さえどうにかなれば、元々、本当にこれまでちゃんと学んだことが無かったの?と首を傾げるほどに飲み込みの早かったのこと。
普通の勉強はもちろん、忍術の授業だっていまじゃちゃんとついてゆけて、もう僕の助けは必要ないのかも、とちょっと寂しい思いで見守っていた。
けれど、そう思った気配でも察したかのようなタイミングで、
「庄左エ門……」
「ん?ああ、ここはこう……こう書いてあるんだよ。読める?」
「ん」
横の反古紙に、詰まっている文字を読みやすく大きく書いてやると、じいっと見て、大事そうに折り畳んで教科書に挟み込むとまた先を読み進める。
こうして些細なことを頼ってくれるから、僕はまだ必要なのかな、と嬉しくなってしまうんだ。
きっと、依存しているのは僕の方。
後は大丈夫そうかなとをうかがって、もう終わった自分のプリントを見直す。
ほどなくして、
「………」
「あ、終わった?ちょうどお茶煎れるところなんだけど飲むでしょ?」
こくん、とうなずくのを横目で確認して盆からもう一つ湯呑みを取り出す。
に合わせて若干小さめなそれを両手で抱えるようにして一生懸命ふーふー吹いている姿に気持ちも頬も弛んで。
ふとやった目の先に、閉じたテキストの横に寄せられた小さく畳んだ端切れを見つけ、
「それ?今日伊助のところに来た用事って」
湯呑みに口を付けたままもちらりと目をやって、肯定の証にゆっくりまばたきをした。
「また新しいの作るの?」
同室二人が嬉々としてからくり裁縫箱収納庫を作っていたこともあって、の裁縫の腕はは組の皆の知るところだ。
そのうえ、二人によればはお針子をしている母親を手伝って自分も仕立ての仕事をしているらしい。
それを聞いたときには半信半疑だったが、三治郎に用があるという伊助について彼等の部屋にいったとき偶然目にして、驚いた。
そのとき縫っていたものは可愛らしい刺繍の施された、桃色の小さな巾着だったけれど。
他にも、下に細かな花模様、上半分は色無地の二枚の布を合わせて作ったものや、いろいろな布をつなぎ合わせてそれ自体で花の形を作ったものやら、手の込んだ細工の、女性の好みそうな可愛い品々にあっけにとられた。
思わず手に取ってみれば、かなり手が込んでいるのが見て取れて、確かにこれは好まれそうだけど作るのに時間が掛かり過ぎない?と聞くと、兵太夫・三治郎御自慢のからくりを開けて、中から何やら取り出して見せてくれた。
緋色、青藤、若草色―――色の洪水のようなそれは、一辺が一尺にも満たないたくさんの小さな端切れだった。
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