夢の旅路は晴れた日に
19話 用具委員と君 後編
とりあえず、移動しましょう。
ほうけながらもの言葉に従って。
「えっと………ここでいいんだよ、な?」
留三郎が着いた先で思わずそう聞いてしまったのは仕方ない。なぜなら目的地だというその場所は、ただ一面に枯れた草木が広がるだけの場所だったのだから。
「春先には一面菜の花ですごい綺麗だったんだけど……」
「いまは見る影もないねぇー」
にも見せてあげたかったなぁ、と、しょんぼりする喜三太としんべヱに当の本人はこれでいいとふるふる首を横に振った。
「これが、必要」
むしろ、というと疑問顔の面々を通り越し、留三郎に向かい、
「菜種の油を、搾りたいんです」
「菜花の………油?」
そんなもの、使えるのか?さすがにそう口にはしなかったが気持ちは表情に表れ出た。
なにしろ菜の花といえば読んで字のごとく、菜―――すなわち食用、だ。
確かに、荏胡麻、椿だって種から油を搾るのだから、菜花の種からだってやれば油がとれるのかもしれないが、留三郎はそんな話、聞いたこともなかった。
妙な臭いはしないのか。灯として使えるだけの光量はあるのか。それ以前に使用できるだけの量が採れるのか。気にかかることがいっぱいでどれから問おうかと迷っているのを察したようには一つうなずくと、
「先日、試しに一度搾油してみました。吉野先生に見せたところ、十分だろうと」
言いながら、荷車に乗せてあるむしろに包んだ例のものを開けてゆく。―――一人では不安定で登れなく、作兵衛に抱えて荷車に乗せてもらったのは御愛嬌だ。
「通常の搾油法では量が採れないので……これを使います」
むしろの下から出て来た、が横になったよりもう少し小さなその木で組まれた道具には全く見覚えがなかった。だが、搾油といったら
「……長木(ながき)じゃないのか?」
「檮押木(おしき)です」
言ってから、ちょっと考えた。
「……檮押木『もどき』です」
なぜ自信を失った!?
見ると少し俯いて、細部を覚えていなかったので、とつぶやく
「細かいところは、これを作ってくれた兵太夫と三治郎オリジナルなので……」
檮押木というより立木(たちき)に近いかもしれません。そうつぶやいたかと思うとまっすぐ顔を上げ、
「とりあえず、油が採れればいいんです」
わりと思い切りがよかった。
「まず、枯れた菜の花を刈って種を集めます」
手順の説明に、と自分がやってみせようとしただったが、枯れて細くなった菜の花の茎にすら一生懸命な様子を見兼ねて、留三郎が貸してみろと鎌を取り上げる。
スパッスパッといい音をたててみるみる間に小山が出来上がった。
むしろの上で叩いて種を落とします、といい丈術用の棒でぱしぱしと実のあたりを叩く。
……とうてい『バシバシ』とはいえない横でおもむろに、掴んだ束同士をバシンとぶつけると、ざあっと夕立ちのような音がして種が一気に落ちた。その様子に、はぱちくりと目を瞬かせる。
「集めた種は、煎ります」
薪を一、二本ずつしか運べないについに作兵衛もため息をつき、貸しなオレがやる、と薪と鉄鍋を取り上げた。
お前はそこで見てろ、としんべヱ・喜三太・平太と並んで荷車の端にちょこんと座らされたは、
「ねぇねぇ、なんで種なんか煎ったりするの?」
「油を、採りやすくする」
「煎ると、たくさん採れるようになるの?なんで?」
「……魚と同じ」
「どういうことー?」
「焼くと、油が出て来る」
「あー、そっかぁ。焼き魚って油がたくさん、じわーって出て来てるもんねぇー」
「うんうん、ボク、サンマとかだーい好き!」
「ぼくはアジの方が好きー。平太は?」
「え………」
せっせせっせと作業を進める上級生二人をよそに、一年生達はピクニック気分だった。
「煎ったら麻袋に入れて、檮押木で油を搾ります」
少しずつ圧力が加わってゆくにつれ、道具全体からぎしりぎしりと鈍い音が鳴り出す。壊れそう、とつぶやいた喜三太に、しっ!と注意してかたずを飲んで見守っていると、
「―――わぁっ」
最初は滲み出すようにゆっくり、次第に筋状になって、油が出て来た。彫られたミゾに沿って集まったそれが壺の中にぽたぽたと落ちて来る。
留三郎がその筋の下に指を差し出すと、うっすら色の付いた粘度の高い液体がその指を濡らした。
「精製…は無理なので。一度紙で漉すと色も少し薄れるかと」
「これは……」
鼻に近付けるとほんのりと臭う、青臭さ。
「吉野先生のところにあった油はこれだったのか」
こくん、とうなずくに、留三郎は驚きを隠せなかった。
間違いなくあの油は、光源として上物だ。それがまさかこんな、そこいらを歩けば山ほど見かける身近なものから採れるとは…!
それに、油量もこれを見る限り十分実用に耐えうる。
仮に、この野原の菜花全てから油を採ったらいったいどれだけになるだろうか?目を白黒させながらあたりを見回す留三郎に、
「菜の花は、取りこぼした種で来年もまた生えますし、種を他から持って来て蒔けば面積を広げるのも簡単です。檮押木も、これは試作品なので小さいですが、兵太夫達の書いた設計図があるので今度は大きくも、数を増やすことも出来ます」
ぽかん、と。開いた口が塞がらない留三郎と作兵衛の向こう、しんべヱと喜三太が、目をキラキラと輝かせた。
「すごいね」
「うん、すごいねぇー」
顔を見合わせ、にっこりと。
「「がこんなに喋ってるの初めて聞いたー」」
「驚くところはそこかっ!?」
すかさず突っ込んだ留三郎はきっと悪くない。
がっくりと崩れ落ちた留三郎に、どうしたんですか食満先ぱーい?疲れちゃったのかなぁー、と覗き込む無邪気な一年生二人を眺めながら、
「……三日分くらい、喋った気がする…」
疲れた……と、はふっと息を吐いたを、変わった子…と思いながら平太が見ていた。
ようし、採れるだけ採ってくぞ!と、だいぶたってようやく立ち直った留三郎のかけ声で、にわか油屋達が動き始める。
体力の無さを考慮されたは、種の焙煎を任され、鍋の前に座りカラカラと鍋をかき回していた。
刈り込んだ菜花の山を運びながら、留三郎は横目でその様子をうかがう。
不思議な子だ、と思った。十歳の子供らしからぬ知識の数々ももちろんそうだが。
いつもはなにかといっては疲れましたー休みましょうよーお腹減りましたーと騒ぐ一年生達をなだめすかしてなんとか作業に付かせるのが常なのに、ただあの子が居るだけで、……力もたいしてない、愛想もない、口数も少ない子が一人、鍋の中をカラカラかき混ぜているだけで。
、疲れてない?無理しないでね、早く終わらせて帰ろうね、と、さっきから休憩も挟まずせっせせっせと作業を続けている。
いつもこうだったらいいのに……と思いは同じなのかため息つきつつ一年生を眺めながら棒で実を叩く作兵衛の前に、次の分なと山を下ろした。
「おやおや。随分と採れたようですねぇ」
元は硝石が入っていた壺二つと予備に持っていった一つの、三つ分。口までいっぱいに詰まったそれを見て、吉野はだまし絵のような目を更に下げた。
「予想以上の収穫ですね、ありがとう。疲れたでしょう?食堂でおばちゃんが御褒美のお饅頭を用意して待ってくれていますから、」
「「えっ、おばちゃんのお饅頭!?」」
「あっ、こら待てお前ら、先に手を洗え!」
わぁい、と叫んで一直線に走っていった一年生達を、慌てて作兵衛が追う。
その一団の中、半ば引きずられるように連れていかれたのきょとんとした目を見て、ようやく子供らしい一面を見たような気がした。
「ご苦労さまでしたね、食満君。どうでしたか?」
「壺がいっぱいになってしまったので、三分の一くらい刈り込んだあたりで戻って来ました。近々、種が落ちきってしまわない内にもう一度行こうかと思います」
「そうですね、お願いしますよ」
そういうと、吉野は独特の、ほほっという笑いをこぼした。
「―――変わった子でしょう」
それが誰を指すのかなんて、
「………ええ。変わった子ですね」
苦笑混じりの笑いを返した留三郎に、
「今回のことは全部、あの子の案なんですよ。私もまさかね、菜花からあんな良い油が採れるだなんて」
「私も知りませんでした」
「これでだいぶ今年度の予算に余裕が出ますからね、」
ですからね、と吉野は笑って、留三郎をびっくりさせるようなことを口にした。
「用具委員会には臨時の予算が出ます。浮いた油代の中から……特別ですよ?」
「は!?」
ぱちくり、とまばたきをした。
いまなにか聞こえた気がするけれど、聞き間違いだろうか?あまりに委員会の予算がカツカツ過ぎて、ついに幻聴が聞こえるようになってしまったのだろうか…。
六年生らしくなく正直に気持ちが表情に表れ出る。ぱちくり、と再びまばたきした留三郎に笑い、
「事務を通しての正式な通告ですから。会計にはね除けられることもありません」
用具管理主任として、こっそり会計のけちけち予算には一家言あった吉野は、多大な経費削減に貢献したんですからこのくらい当然です、とにやりと笑った。
それにね。
ぽかんと、いまだ事態が把握出来ていない留三郎に、年端もいかぬ幼子に言い聞かせるように、静かに。
「これは、君からのお願いでも、あるのですよ」
「…………あの子の?」
「浮いた経費の中から、少しでいいから手伝ってくれる用具委員会と、道具を作ってくれた一年は組の兵太夫・三治郎の二名に、なにかしてやってほしい、と」
いい子でしょう?そう言って笑う吉野の顔は、まるで息子の自慢をする父親のそれ。
思わずくすりと、笑いがもれた。
まさかこの人の、こんな顔を拝める日が来ようとは。これこそまさに、夢にも思わなかった。
「ええ、本当に。――――変わった子ですけど、ね」
「ああ……そうですねぇ」
とっても変わってて、とっても不器用な、とってもいい子ですよ。
口にすればきょとりと不思議そうに見上げてくるだろう子を思って、ひっそり笑い合った。
「ああ、吉野先生、用具委員会に臨時予算をいただけるのなら、あの子にも、」
「ええ、ええ。もちろん分かっています。君には学費の一部が免除されることになりました。それとね、試しに採った分の油を。……この油は荏胡麻油と同じで上級生から使うので本来一年生は使えないんですが……」
このくらいのおまけ、あってもよいでしょう?
内緒ですよ、と告げた声に、笑って返した。
「もちろん」
菜の花は、450年頃には中国から伝来したそうです。
菜は中国語では食事とか料理の意味で、文字通り当初は葉や茎をいただく食用でした。
灯り油の歴史ですが。
奈良時代には寺院・神社・一部の上流階級の灯明に荏胡麻や椿、榛(はしばみ)などの油が使用されていたそうです。
平安時代になると長木(ながき)による荏胡麻からの搾油が考案され、生産量が伸びました。
山城国大山崎八幡宮の神人(じにん)による油座が結成され荏胡麻油の製造・販売を独占し、この頃には寺社や公家・節だけでなく京都を中心に裕福な商工業者にも油は広がったそうです。
しんべヱのうちは界で裕福なお家ですから、きっと家でも油を使えたことでしょう。
菜種油が搾油され始めた年代は、明確ではないそうです。
おそらくは1570年頃から大阪築城の1583年頃の間に始まり、急速に広がったと推測されているそうですが。
菜種油の普及は、遠里小野(おりおの)の若野氏某が考案した檮押木(おしき)により菜種からの搾油が始まり、大量生産が可能になりました。1656年頃には改良が加えられ、矢と称する楔を打ち込む立木(たちき)が開発されます。
菜種油は荏胡麻油に比べて遥かにすぐれた灯明油であったため、それ以降は荏胡麻に変わり菜種が普及しました。
つまり今回のお話ではかなり時代を先取りしたですが、別段檮押木を開発して普及して金を稼ごうと考えているのではないのだし、元の世界の過去とはここは違うのだから、まあ構わないだろう。便利なものがあるのを知ってるなら使わない手はないよね。そんな気持ちで、檮押木を作ってもらいました。兵太夫と三治郎に(笑)きっと嬉々として作ってくれたことでしょう。
自身は、これで魚油の臭いに耐えつつ縫い物をしなくて済むしついでに学費の一部が免除になって万々歳、と。
余談ですが。
日本では食用油として一般的な菜種油ですが、従来品種は過剰摂取により心臓障害を誘引するおそれがある不飽和脂肪酸残基などが多く含まれているため油を多用するアメリカ型食生活ではリスクが高いと、アメリカでは食用が禁止され、改良品種であるキャノーラが流通しだした1985年から許可されたそうです。
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