夢の旅路は晴れた日に
20話 仙蔵と留三郎と君 前編
普段温厚な人間ほど怒らせると怖い、という世の中のお約束がある。
俺はそれを伊作で思い知った。あいつは真実、本気で敵に回すべきではない。
だからこれもそういうたぐいのことなんだろう。
立花仙蔵が行動に移さず無言で怒っていると、普段の倍怖い。
同室である潮江文次郎のように、怒ると途端に怒鳴りだすというのではないけれど、仙蔵も怒ると口が先にくる。
かなり辛らつな言葉でねちねちと罵られ、心にかなりのダメージを受けるので、留三郎なんかはむしろ殴り合いになった方がよっぽどマシだと思っている。
……最終手段のはずの焙烙火矢がわりと早々に出てくるので、口が先にくるとはいってももれなく怪我もするのだけれど。
その、仙蔵が。
さっきからずーっと。正面に座ってじーっと、ただじーっと無言でこちらを睨みつけてくるのは、地味にライフゲージを削られた。
「………………仙蔵、なんなんだ一体」
無視、という防御法も効かないので、とても嫌々だけれど留三郎は箸を置いてそう口にした。聞かないことにはこいつはいつまでたっても睨みつけたままなんだろう、と察しをつけて。
実習が長引いた上に用具委員会の用事を優先したために遅れた昼食をとっていた食堂には、留三郎と仙蔵以外に人はいない。食堂のおばちゃんもちょっと用事があると留三郎の昼食を作った後、食器はカウンターに戻しておいてねといって行ってしまったから。
ちょうどよかったのかもしれんなと心の中でため息つきつつ腹をくくると、
「解せん」
開口一番ぐさりと言葉で刺された。
さっきまではそれでもまだ取り繕っていたのか、見ると目がしっかり座っていて。
目つきがキツくて怖いと後輩たちに嫌煙されがちな留三郎だが、秀麗な容姿にごまかされて気付かぬ者も多いが実は仙蔵もかなり目つきがキツい。
それが眉頭に力を入れて睨みつけるといっそう際立って、仙蔵のことを慕っているしんべヱや喜三太にはとうてい見せられない面になっている。
教えてやろうかと思ったが、火に油を注ぎそうなので止めておいた。
いまうかつなことを言うと、きっと 殺 ら れ る ……!
まだ命は惜しい。
口を開くのを居心地の悪い思いで待っていると、ただ黙って長いこと睨みつけてきていた仙蔵がようやく口を開き、
「そのような顔のわりに後輩に慕われるのがお前の数少ない特技だと知っているが、」
「お前、それは俺に喧嘩を売っているのか?」
「黙って聞け」
なら買うぞ、と言いかけた留三郎をスパンと切り捨て、ヒタリと座った目で睨みつける。
「どう手なずけた?」
「…………は?」
ボケでもじらしでもなく、素で、なにを言わんとしているのか分からなかったのでそう口から出ただけなのだが、どうやらそうは受け取らなかった仙蔵の手がするりと懐に伸び、見慣れた丸い物体を取り出そうとするのを見て慌てて押し止めた。
ここで焙烙火矢はまずすぎる。室内だから破壊力が増して云々、ではなく食堂であるが故に。
食堂のおばちゃんに怒られる、と身も蓋もなく慌てて止めに入り、仙蔵の、そう力が入っていないようにも見える白い細腕を力一杯押さえ込みつつ、あのなせめてもう少し詳しく言ってくれないことにはこちらとしてもなにがなんだか分からないんだが、と精一杯の下手に出た。
「文次郎に聞いたのだがな」
一回プチンと切れかかってすっきりとしたのか、さっきまでの剣呑さが嘘のように、留三郎に入れさせた茶をズズッとすすって。
おい、薄いぞ、などと文句をつけてくる仙蔵に、そうかいそりゃあ悪かったなとまったく心のこもっていない謝罪を返して、で?と話の続きをうながす。
「お前のところ、追加予算をもらったそうだな」
聞いた途端なんだその話かとがっくり力が抜けた。思い返してみれば確か、仙蔵率いる作法委員会も用具同様、今期の予算をがっそり削られたクチだ。
(もっとも、予算を削られていないところなど一つとしてないのだけれど)
ケチケチ予算に腹を立てているところに用具には追加分がでたと聞いての八つ当たりか、と察しをつけ、
「言っておくが、あれは労働に対する正当な報酬だぞ」
案の定文次郎が渋って、学園からの正式な決定通告でなければ途中で取り下げられていただろう追加予算に関するやり取りを思い出して、にわかに降って湧いたものではないのだと眉を寄せて告げると、そのようなことを論じているのではない、と返された。
「詳しい話は知っている。灯り用油の搾油に成功したことで浮いた経費からの褒美だそうだな」
「なんだ、知ってるんじゃねェか」
ならなぜ自分が文句を言われなければならなかったんだ?と首をひねると、
「そしてその案は、一年は組のによるものだ。そうだな?」
「おう。そーだけど?」
「…………」
さっきまでは穏やかなものになっていた空気がまた冷えだしたことに留三郎は目をむいた。
一体なんだというんだ!
仙蔵のまとう空気が刻一刻と剣呑なものになってゆく。これは、一度答えを間違えればアウトだ。なにがって、留三郎の命が。
そう告げる己の直感に従い必死で頭を巡らせ、
「あーーーー…って、お前んとこの、」
はたと思い当たったことを口にすればさっきまで張りつめていた空気がぷしゅうと音でもたてるように潰れて消えた。
思わず、まじまじと正面に座る仙蔵の顔を見る。
心なしか膨れているように……見えはしないだろうか?
「もしかして仙蔵……自分トコの一年が自分に頼ってこなかったから…………へそ曲げてんのか?」
ガッと空気が凍ってまた一瞬で霧散する。その、口より雄弁な態度に、思わず笑いがもれてきた。
「………なにがおかしい」
「いや、な」
理由さえ分かってしまえば、仙蔵のイライラも可愛いらしいものに見えてきて。
まさか、懐いていると思っていた後輩が他人にも懐いていたと仙蔵から嫉妬される日が来ようなどとは、一体誰が想像したというのだろうか?
「が俺に頼ってきたのは、用具委員長だからだと思うぞ?」
今後や檮押木の管理のこともあるし、顧問が吉野先生だったし、という留三郎に、そんなことは私も分かっているさ、とため息一つ。
「分かっては、いるのだがな」
ようやくふてくされているのを隠さなくなった仙蔵が机にひじをついて、もう一つため息をこぼした。
腹立たしいというより無性にムカムカくるのだ、と口にした憂いの似合う美貌の男は、ため息一つとっても様になる姿で、
「情けない話だな。私もまだまだ精神修行が足りん」
「んー……そうか?」
仙蔵だからこそビックリもしたが、それ自体は誰にでもあることだろう。そう、誰にだって。
「俺だって、しんべヱや喜三太や平太が俺より先に作兵衛に頼っていったら、ちょっと落ち込むと思うぞ」
「………そのようなものか?」
「そんなもんだ」
そんなことがあればきっと、相談にのる成長した作兵衛の姿に喜びつつ、でも俺にも頼ってほしかったな……とちょっとしょげるだろう自分の姿を思い描いて苦笑した。
そんなもんだ。俺も、仙蔵も。
なんでもないことに思い悩む、まだガキなんだ。
プロに限りなく近いともてはやされ、下級生達から尊敬のまなざしを向けられてもまだ、たった十五歳の子供に過ぎないのだ。
「お前は十分、いい先輩だと思うぜ」
にとってもさ。
「…………ふん」
机についたひじの上に乗っけた顔をそっぽ向けた仙蔵に、クスリと笑いがもれた。
―――しかし。
そう口にして顔を戻したときには、その表情は平素と変わらず感情を読み取らせないものにすっかり戻っていた。
「これがお前で本当によかった」
「あ?」
「もしこれが、相手が文次郎であったら……と思うと」
想像するだに腹立たしいことこの上ないからな。
その言葉に、あーそりゃ俺もやりきれねェな、と苦虫を噛んだような渋い表情を返す。
なんで負けるのでも腹が立つが、こと、後輩に関わることで負けるのは特に耐えきれない。先輩として、悪い人物ではないのだが問題も多い人物の顔を思い浮かべああ嫌だと首を振ると、ようやく仙蔵も笑った。
また前後編です(笑)六年生が二人も出てきたせいですかね。
肝心のがまだ出てきていません。後編には出てくることでしょう(笑)
仙蔵がずいぶんと感情過多な感じになっていますが、思えば彼もまだ十五歳。
現代で言えば中学三年生ですから、いくら優秀な忍びの卵であっても、
時には感情のまま行動に出てしまうことだってあるのではないか、と。
そんなことを思ってのお話です。
仙蔵はきっと、ちょっと不器用な感じにを気に入ってくれています(笑)
こう書くとなんだか仙蔵がだけ可愛がっているようですが、兵太夫のことも可愛がってます。
ただ方向性が違うというか。兵太夫との扱いの違いは、
→兵太夫:将来有望と目をかけている
→:何かと気にかけている
みたいな感じ。
一方、一年生から仙蔵に対しても、
兵太夫→:先輩として尊敬している
→:先輩として慕っている
些細な違いで、大きな違いです。
ちなみに、兵太夫の中でのランクは >>>仙蔵 なので、
を先輩に盗られた!と膨れることはあっても
に先輩を盗られた!と文句を言うことは有りません(笑)
Back 夢の旅路Topへ Next