夢の旅路は晴れた日に
20話 仙蔵と留三郎と君 後編
室内の空気も穏やかなものになり、もう一杯飲むか?おう、頼む、と急須片手に立ち上がろうとすると―――
カタン、という小さな音にそろって厨房の入り口の戸にそろって目をやれば、
「………歩く野菜?」
「馬鹿者、抱えているに決まっているだろうが」
キャベツと人参がひょこひょこ移動しているのを見て思わず口にすると、阿呆、と横から突っ込まれた。
分かってるさと眉を寄せつつもう一度目をやると、歩いてきた野菜……もとい人物は手にしたざるに山と積まれたそれをカウンターの上に上げ、
「食堂のおばちゃんなら所用で席を外しているぞ」
誰もいない厨房にことりと首を倒した人物にそう口にする。
ようやっと仙蔵と留三郎の存在に気付いたらしく振り返る人物―――に、忍者を目指すならもう少し鋭くならねばならん、と注意も忘れない仙蔵は、お前の畑で穫れたものか?と聞いた。
こくん、とうなずいたが抱えてきたものは遠目に見ても十分な量と質を兼ね備えている。
以前、なんで薬草と野菜が混在してるんだ?と薬草園の横にいつのまにかできていた野菜畑に首を傾げ、食は医なり、だよと伊作に笑って返され首をひねったことのある留三郎はようやく納得した。
なるほど、あの野菜達は食堂に提供されていたのか。
ふんふん、とうなずいた留三郎はの横顔を見て、
「顔、土が付いているぞ」
いわれてが顔をこし、とこする。ただ残念なことにそれは反対側だった。
「ああ、そっちじゃない、こっちだ」
自分の反対側の頬をちょんとつつく。それに習ってが反対側の頬を手の甲でこすると、
「あー……」
「?」
手についていたまだ乾いていない泥がすーっと筋を引くように頬に付いて。
その様子に留三郎が笑いながら、おいでと懐から手ぬぐいを出し拭ってやろうとすると、とてとて寄って来たがかき消えた。
伊作でよく見る光景に一瞬、すわ室内にも落とし穴が!?と焦ったが、見ると、手が届く寸前で横からさらった仙蔵が、
「そのように顔に土を付けて歩くものではない。ますます喜八郎に似ているぞ。………それ、落ちた」
慣れない手つきではあったが手ぬぐいで頬を拭われ、無言でされるがままに、ぐにぐにと頬を拭かれていたがぺこんと頭を下げる。
一見淡々としつつほのぼのとした二人のやり取りに、
「………おい、」
所在のなくなった手ぬぐいを仕方なしに仕舞いつつ仙蔵に文句を言うと、ふん、と鼻息一つと小馬鹿にしたような優越感混じりの視線を送られた。
………妙に悔しい!
でもまあ、仲が良いのはいいことだ、と自分をぐっと抑える。
たまにはいいじゃないか。案外人付き合いには不器用だった友人の、手探りな様子を笑って見守ってやるのも。
でももしが困っているときには話は別で、もちろん助けてやろう、と後輩最優先な留三郎は思った。
ややあって解放されたがとことこ寄ってくる。泥を拭われた頬がほんのり赤くなっているのに、どれだけ強く拭いたんだと呆れつつ、
「どうした?」
「………」
成長期の五歳の差は大きい。
仲間内ではわりと小柄な留三郎ではあるが、一年生から見ればたいして変わりはない。
茶をいれようとした留三郎も顔を拭きに近寄った仙蔵も立ち上がっているため、一生懸命見上げてくる首の角度は限りなく真上に近い。
でもここで、幼子にするようにしゃがんで視線を合わせるといたくプライドを傷つけることになる、と数年前の作兵衛で思い切り学んだ留三郎はぐっとこらえた。
丸い大きな目が、瞬きを忘れたように見上げてくるのに、はて何だろう、と、
「ああ、こないだの菜花の油の件か?」
こっくりとうなずく様子に、やはりとこちらも心の中でうなずいた。なにしろ接点などまだ先日のそれしかないのだから。
「問題ないって言ってたぞ。先生方も喜んでらした。これからは採れるだけ自分達で採って、足りない分だけ油を買うそうだ。あまり大きいと運べないから同じ大きさの檮押木を今年中にもう一台作って、来年は川沿いの方も採って回ろうかって話まで出てる」
「………」
「このあいだ採り残した分は、近々また行くつもりだ。有れば有るほどいいと急かされてるしな」
うなずくようなゆっくりとした瞬きに思わず手が伸びる。小さな頭をポンポンと撫でてやり、
「それと、ありがとうな」
「………?」
「大幅な経費の削減に貢献したからと特別に追加の予算が出た。お前が進言してくれたんだろう?吉野先生が教えてくれたぞ。正直、今期は予算がキツかったから助かった」
ありがとうな、ともう一度撫でていると、手のひらの下の目がわずかに細くなる。
その仕草に、猫のようだ、と思った。
思いがけなく目にした可愛い様子にほのぼのしていると、その空気を裂くように、そのことだがな、とちょっと不機嫌そうな仙蔵が横から口を出してきた。
さっきまでのやり取りでもってこれは怒っているのではなくすねているのだと分かっている留三郎は苦笑したが、そんなこと知るよしもないは、珍しい先輩の様子にぱちりと瞬きを一つ落とす。
「なぜ私に言わない」
痛くなりそうな角度に首を上げたまましばし考え、
「灯り油は備品扱いなので、ならば吉野先生にお話すべきかと」
「先に私にいって、こちらから話を通した方が早かっただろう」
「間に人を挟んだ方が手間では?」
「……ならなぜ搾油の手伝いを留三郎に…用具委員に頼んだのだ?」
「………おかしいですか?」
「その道具を作ったのは兵太夫なのだろう?なら、その兵太夫が手伝った方が面倒な説明も手間もいらないだろう。なら、作法委員会で作業を行えばいい」
言われて、が不思議そうにことりと首を倒す。
「でも、用具を使用する以上管轄は用具委員会なので」
おーい仙蔵、一年生に言い負かされてるぞ。
しんべヱ達が、がこんなに話すのは珍しいのだとあの後しきりに言っていたが、これを見る限り、ポンポンと上手い具合にやり取りが続いている。
前回と今回と、それしか知らない留三郎にはが口数が少ないのかそうではないのか、どちらとも言えていまいちよく判断がつかないのだが。
それとも、会話の相手が仙蔵だからよくしゃべるのだろうか?
思い返せば先ほどまではまったく口を開いていなかった。
だったら、思いのほかヤツは慕われているのではないか、と。向かい合う二人を見てひっそり笑った。
ついに黙り込んだ仙蔵を、不思議そうにが見上げる。
なにか問題がありましたか?と聞きたげなまなざしにさすがに大人げなかったと反省したのか、ため息を一つついて、すまん、と口にした。
「お前の判断は正しい。ただいささか……納得ができなかっただけだ」
「………」
これでこの話は終い、と切り上げようとする仙蔵に、わけの分からないままのはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
茶でもいるか?と、笑っている留三郎にキツい視線でいれろと催促しつつ言うと、
「………やりたかったのですか?」
一瞬なんのことを言っているのか分からなかったが、ほんのり困ったような色の浮かぶまなざしに苦笑して、その頭を軽く撫でた。
「そういうわけではない。…………まあ、忘れろ」
ほれもうこの話は終わりだと仙蔵は切り上げにかかったが、納得いかないらしいは首を傾げたまましばし考え込み、
「先輩は、」
「なんだ?」
「先輩は、こういう単純な力作業はお好きではない、かと」
思ったのですが。
「………………」
たっぷりとした沈黙が落ちる。
仙蔵の正面にいた留三郎にはその表情がよく見えた。
仙蔵の驚いた表情は珍しい。目を見開いて固まった様子に、ついに笑いがこらえきれなくなった。
けたけた笑い出した留三郎を、不思議そうにが振り返る。
いやいや、なんでもねェよと言いはしたが、こみ上げる笑いはしばらく治まりそうになかった。目尻に浮かんだ笑い涙を拭いつつ、
「なるほど、仙蔵がこういう作業は嫌いだと思って言わなかったんだな」
「………」
ためらいつつ、小さな頭が上下する。
その頭をぐりぐりと撫でつつ、ぽかんとしたままの友人に目をやった。
なんだなんだ。心配なぞしてやる必要はなかったということだ。
お前さん、十分慕われてんじゃねェか。
次第にゆうるりと弧を描く唇を見ながら留三郎は、子供らしからぬ気遣いをする不器用な子供の頭を撫で続けた。
何も言わないものだからつい撫ですぎて。
ぐらぐらしだしてしまった頭に、お前のところの頑丈が取り柄の子供とは違うのだと仙蔵が怒りだすまで続け。
ずれてしまった頭巾を直してやると、留三郎、と上機嫌な声が呼びかける。
「せいぜいしっかり働くがいい。私達の快適な生活のためにな」
ははは、という高らかな笑いに、ああこいつもう少し凹ませたままでおけばよかった……!と握りこぶしをぐっと握りしめた。
六年生二人とのほのぼのとした感じになっているでしょうか?
なりにいろいろと考えた結果の行動だったのですが裏目裏目に出るという(笑)
用具委員の回では吉野先生の方がむしろ前面に出て
留さんはあまりと接せなかったのですが、
今回も仙蔵にいいとこ取られた感じがあるような(笑)
畑で作った野菜ですが、もちろん無償で食堂に提供しているのではなく、
その分の食券をもらって食費をまかなっています。
最近では、保健委員にアドバイスをもらい薬草もいい出来に育っているので
学園に買い取ってもらっています。
着物の仕立ての内職を今まで通り続ける傍ら、伊助のご両親が送ってくれる端切れや糸で
布小物を作っては町の小物屋に持っていき、置かせてもらっています。
いつもアルバイトアルバイトと目を銭にして駆け回っているきり丸に
土井先生がときおりため息ついていたりしますが、
たった十歳の子供が学費と生活費を稼ぐのは、楽ではないということです。
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