分かってたよ。ずっとさ。
上手く隠してたつもりだろうけど。あなたはとっても隠すのが上手いんだろうけど。

表情を声を、顔をごまかしても。分かるよ。
人の心に敏感なつもりはないけどさ、長いことずっと、ただその感情だけを向けられていたからさ、ほら、例えていうなら、人参嫌いの子がどんなに小さく刻まれても見つけちゃうように?
苦手な人ほど、人ごみの中でも誰より先に気付くように?

どんなに綺麗に隠しても、心の隙間から立ち昇るように、匂い立つように、分かるから。
だから、知ってたよ。あなたが俺を嫌ってるって。



―――――――――――――――鉢屋先輩。






夢の旅路は晴れた日に
21話  鉢屋三郎と君






「雷蔵先輩」

人気のない廊下を歩いていると後ろからかけられた声に、雷蔵と三郎がそろって振り返る。
自分が呼ばれたわけではないのに一緒に振り返るのは、いつも雷蔵に変装しているためだ。
同じタイミングで振り返った同じ顔。その一方に歩み寄り、

「きり丸が、」
「ああ、また補習かな?」

苦笑いであててみせるとこっくりうなずいた頭を、教えにきてくれてありがとうなと撫でてやる。

「今日は図書室に来るかい?」

聞かれてすいっと目を滑らすと、首を横に振った。

「そっか。今月の新刊がね、昨日入ったんだ。中在家先輩がチェックしてらしたから近いうちに借りにおいで」

分かったというようにうなずくが来た道を戻っていくのを見送って、それで?と振り返る。

「なんで嫌いなの?」

唐突にそう問われ、三郎は珍しく目を瞬かせた。


「………なにが?」
「それってごまかしてるつもりなの?五年も一緒にいるんだから、分かるよ」

どんなに隠したってさ。
言って、そのごまかしを見破るように目を合わせた。



「三郎、のこと嫌いだろ」



質問ではなく、断定。言い切った雷蔵に三郎の目が丸くなった。

「なんで」
「根拠が必要?ならないけど。一言で言ったら……なんとなく、かな」

でも、嫌いだろ。
逃げを許さない雷蔵に少しためらった後、降参、と手を上げた。

「そんなに分かるもんか?」
「あと兵助とハチも気付いてるんじゃないかな。聞いてみたことないからはっきりはしないけど」

他の人は気付いてないと思うよ、というと、一瞬のうかがうような視線に苦笑して、

「確かに僕はのこと気に入ってるけど、だからって三郎もそうでなきゃいけない、ってことはないだろう?そんなのは人それぞれでいいんじゃないかな。そりゃあ、できれば仲良くなってくれたら嬉しいな、とは思うけどね」

誰だって嫌いな人間の一人や二人、そりの合わない者の一人や二人、いるのが当然だろう。
犬猿の仲と名高い六年生の二人のように周囲を巻き込みさえしなければ、それは問題視するようなことじゃない。
それに三郎は、雷蔵が気に入っていると知っていて正面切って気に食わないだのという話をしたがることはしないし。そう、いままでずっと言わずにいたように。
そう思ったのだけれど、

「あー……」

曖昧にごまかして答えをはぐらかそうとする様子にさすがに、そんなに嫌い?と聞いてみた。
なんとなく、なんとなくだけれど、三郎とは案外上手くやっていけるような気がしていた。どうして?と聞かれると困ってしまうけれど。

確かに、三郎がことのほか気に入っている後輩たちとはずいぶんタイプが違うんだけれど。
なんと言うか、どこか似ている気がするのだ。三郎自身に。
言動も性格も考え方も立ち位置も、色々違いすぎてむしろ似ているところを探す方が大変なくらいだけれどそれでもどこか、何かが似ている気がしてならない。そんな感覚を、二人の側にいると感じる時があって。
だから勝手な話だけれど、案外仲良くなれるんじゃないかな、なんて、そんなことを思ったりしていたのだが……

「嫌い、だな」

そうはっきりと口にした三郎に、思わずビックリした。

「………珍しいね」
「なにがだ?」
「んー……」

もちろん博愛精神なんてみじんも持っていない(むしろ、自分の大事な人間だけでいい、という考えな)三郎だが、存外、人を嫌いだと口にすることは少ない。もっとも口にしないだけで、思っていはいるんだろうけど。
少なくとも、三郎の感情をこれだけ揺らす人間を、雷蔵はそう多くは知らない。良い意味でも、悪い意味でも。
嫌いな人間は視界にも入れず完全無視を貫く人だから、誰かのことをこうもはっきり嫌いだと口にする三郎はとても珍しくて。だから、

「ちなみにさ、どんなところが、嫌いなの?」

人を嫌っている理由を聞こうだなんて趣味の悪い、と思うけれど、好奇心には逆らえない。
三郎は嫌ーな顔をしてちょっと居心地悪そうに身じろぎをしたが、雷蔵が引きそうにないのを見て、ため息をこぼした。
ささっと近くの気配を探り、誰もいないのを確認してから(もっとも周囲に人気がないのは雷蔵が確認済みだ。そうでなければこんな閉め切られてもいない空間でこんな話を持ち出さない)、言い辛そうに、私があの子を嫌っている理由は……と重い口を開き始めた。



「まず一つは、特徴が無さ過ぎること、だ」
「…………は?」



「特徴が無いくせに整った顔というのは非常に似せやすいんだ。顔を凝視されることは無いし、多少違いがあってもまあ整った顔としか印象に残ってないから分からないし。その上口数が少ないから、顔だけ作って黙って立っていれば、出来上がり」

そのお手軽さ加減が嫌だ、という三郎に、

「……………く、」
「く?」
「くだらない………」
「くだらないだと!?なにを言うか、変装は私のアイデンティティーなんだぞ!」

雷蔵は事の重大さを理解してない!とキイキイ怒る三郎に脱力した。


まさか、そんなくだらない理由だなんて……っ!


それもまた仕方ない、みたいなことを言ったが前言を撤回して一発殴りたくなった。
ぐっとこぶしを握りしめる。
そんな剣呑な雷蔵の気配を察したのか、もちろんそれだけじゃないぞ、と慌てて。

「今度は、声が高いから似せにくくて嫌だ、とかいったら本当にぶっ飛ばすからね」

さすがにおふざけが過ぎたと怒った雷蔵の怖さを身をもってよく知る三郎は若干引きつった顔でこくこくとうなずく。
その様子に、まったく、言い辛いってのは分かるけど最初からちゃんと言えばいいのに、とこっそり呆れつつ、顔は怒った表情を作って、それで?とうながした。

あー、うー、といいごもるのを急かすことなくゆっくりと待つ。
こんな三郎の幼い様子を知るのは、数少ない仲間内だけだろう。
いつもは同年の中でも特別先に立つ冷静でひょうひょうとした三郎の、同い年の少年らしい一面にこんな時だというのについ微笑ましさを覚えつつ、しばらくじっと待っていると。
やがて意を決したように、


「…………あの目が、嫌だ」


そう、口にした。





「目?……確かにじっと見るくせがあるようだけど」
「そういうんじゃなくて。………まるで観察されているみたいだ」

雷蔵は感じないか?
そう口にする表情は、さっきまでのおふざけがすっかり抜けて硬い。

「どこか高いところから見られているような気がする。―――あの目に見られていると、一歩離れたところから、冷静に見て、こちらの出方をうかがわれているような感覚に陥る」

そんな所が気に触る、という三郎に、それっていつも三郎がやってることとどこが違うんだろう、と雷蔵は呆れた。無自覚って恐ろしい。
なるほど、これが同族嫌悪ってやつか、と一人こっそり納得していると、それに、と三郎が続けた。

「あの子供、私達の見分けがついているんだ」
「え、まさか」
「本当さ。その証拠に、雷蔵のふりをしている私に『雷蔵先輩』と呼びかけたことはない」

それってただの偶然じゃないかな、とか、いいかげん僕のふりして人と会話するのよしてくれないかな、とか思うことは色々とあったが全て押し包めて、そうかなぁと言った。

「そんな感じは受けないんだけど」
「そうだろうな、言わないから」
「言わないって、なにを?」
「雷蔵のことは雷蔵先輩と呼ぶ。私のことは鉢屋先輩と呼ぶ。雷蔵のふりをした私を呼ぶ時は、」

そのまなざしが、苦々しげに細められた。



「『先輩』、だ」






「分かっているのなら普段と同じように『鉢屋先輩』と呼びかければいいんだ。兵助もハチも、先輩や先生方だってそうしているのに、あの子供は気遣っているんだかなんだか知らないが、私が明かすまで『鉢屋』とはけっして口に出さない」

既に遠く、後ろ姿さえ見えないがまるで目の前にいるかのように睨みつける。



「私だと分かっているから、雷蔵先輩とは呼ばない。
 私だと分かっているのに、鉢屋先輩とは呼ばない。
 私は、あの子の、そんなところが嫌いだ」



まるで自分に言い聞かせるように、一言ずつ区切ってはっきり口にするくせに妙に傷ついたような色を浮かべる難解な友人に、心の中でひっそりとため息をついた。




人の感情は、一直線上にあるんではないんだそうだ。中心から、右に行ったら行っただけ好き、左に行ったら行っただけ嫌い、というようには。
人の心はまるで複雑な造形物のように、大好きの隣に嫌いが存在して、嫌いの中に好きがあったりもする。そしてそれら全ては流動的で、一所も留まることなく、揺れ動き続けるのだと。
聞いたときにはずいぶんと詩的な表現だと思ったものだが、いまはその言葉がなんだか分かるような気がする。

好きと嫌いの形は、とても似ている。





誰もいない廊下をじっと、固まったように見つめ続ける三郎に、行こうかとうながして、でもね、と口にした。

「やっぱり僕は、三郎とは仲良くなれると思うよ」
「………それはないな」

まさか、といって首を振る友人に、小さく笑った。








嫌い、といっていますが、どちらかというと『苦手』です。
のことを嫌っている側の三郎はひっそり凹んでいますが、
嫌われている方のは、万人に好かれるってないよなと悟っているので。
それはそれで、仕方ない、と。

三郎の言う、高いところから見られている、というのは、
なにしろ本当は+18歳の、父親に近い年なので、大人目線にもそりゃなるでしょう。
ただでさえいろいろあって経験豊富だし。
出方はうかがってます。相手の意思を尊重したいと思っているし、
できることならもう弾かれることなく、上手くやっていきたいですから。

嫌われないようにした結果嫌われるのは、仕方ないと思っていても少し悲しいです。





Back  夢の旅路Topへ  Next