小さい頃、庭でモグラを見たことが一度だけあるんだ。
そんときはもう死んでたんだけど、手よりちょっと大きいくらいで、ああ、こんなちっちゃいんだ?って思った。
でさ、昆虫がみんな人間サイズになったらすごい運動能力持ってるんだぜオリンピック競技で見てみよう!な感じの内容のテレビを何かでやっててさ。
ノミとかすげーの。数十メートルも高飛びして、飛びすぎて会場から飛び出して失格になってた。
………って話がズレた。ええと、つまりは。
人間サイズのモグラがいるのかなこの学園には、って話。
夢の旅路は晴れた日に
22話 綾部喜八郎と君
歩いてたら、穴があった。
「…………」
その穴から、定期的にザッ ザッ と土が投げ出されてくる。土だけが。
………なにがいるんだろう。
土が止まるのを待って、そうっと覗き込んでみた。薄暗くて思ったより深い穴の中には、
「あ」
茄子紺色の忍び装束を着た、見慣れた先輩の姿。
「………綾部先輩」
綾部先輩の頭はすっかり穴の中にあって……というか腕伸ばしてもまだ余裕がある位で。ってことはこの穴、2m以上あるんだろう。
すごいな、一見細くて非力そうなのに。脱いだら意外にがっちりしてたりして。
なにやってんですか、なんて聞く必要はないよな。だってどう見たって『穴掘ってる』んだし。
それにしてもこの穴、綾部先輩一人で掘ったんだろうか?
掘ったんだろうな掘ったんだろうよ。だってさっき俺かき出される土見たし。
……結構な深さあるんだけど。
こう、腰かがめて土すくうだろー?んで腰伸ばして後ろに土をざっと……穴の外まで届かねーよなぁ。え?腕伸ばすの?勢いつけたら届くか?土って結構重かった気がするんだけど。特にここ、湿ってるし。
これをあのスピードでざっざか掘れるってわりと凄い体力だよな。息も上がってないし。
体育委員会の塹壕掘りの後の金吾なんて完全に魂飛ばしてるんだけど。これが一年生と四年生の差ってやつか。
……いやいや、金吾届けてきてくれる滝夜叉丸先輩もわりと疲労困ぱいな様子だった気が。
―――なるほど、つまりは綾部先輩は体力馬鹿と名高い七松先輩と近い体力を持っている、と?
ふむふむ、と心の中でうなずいている間、当の先輩は何もいわず、何の表情も浮かべず。ちょっと首をかしげたポーズで穴の中から俺を見上げてきていた。
俺がいうのもなんだけど、この先輩表情の変化が乏しいなー。
邪険にされないのをいいことに、もう少しこの穴を観察させてもらうことに勝手に決めた。
………だって、俺落とし穴掘ってるの見るの初めて。
いや、現代で昔はあったけど、あれって精々片足落ちるくらいじゃん?人がすっぽり入るの作るほどの情熱皆持ってないし。
出来上がったのなら(は組の皆が落ちたところを)見たことあるけど、製作途中は初めてだ。
噂の七松先輩もよく学園を穴ぼこにしてるって話だけど(地面のみといわず壁や塀も)、皆が必死になって止めるからまだ会ったこと無いんだよ。
手を伸ばして、穴の内側をそっと触ってみる。
おお。凄いつるつるだ。これってもう技術だよね。
ぐっと指先に力を入れてみても土の壁は崩れてこない。硬い地盤なんだ。これなら穴から出ようと苦無を刺してもしっかりした足場になるだろう。
一見好き勝手掘ってるように見えてもちゃんと考えてんだなー。……その気遣いがどうして根本的なところに行かないのか謎だけど。
感心しながら土の壁をぺたぺた触っていると、
「ねえ、」
「?」
「塹壕好きなの?」
………………………塹壕だったんだ?いやぁ、俺はてっきり落とし穴かと。
だっていっつも蓋つけて見えなくしてあるし。……乱太郎が落ちてるし。
そんなことを考えていると、綾部先輩が目で早く答えろと促してきた。
普段は周りが脱力するくらいマイペースなのにわりとせっかちなんですね。しかしながら、
「……掘ったことも、落ちたこともないので」
なんとも言えません。
正直にそういうと、
「なんで?」
むう、と先輩が少しふくれた。
なんで……って、そんなえらい子供ぽい仕種で文句いわれても。
「兵太夫や三治郎が前もって教えてくれるので」
「ちっ」
え、なにこの人いま舌打ちした!?
「あと、」
「あと?」
「足元に落とし穴が、って駆けてきた乱太郎が先にハマるので」
「………」
保健委員?と聞かれたのでうなずくと、やっぱりねといった感じのため息を吐かれた。
「保健委員ばかりかかるから私はつまらない」
「はあ、」
じゃあ落ちないように目印つけたらいいんじゃないですかってのは………駄目なんだろうなぁ。
変わったこだわり、と思いながら穴に伸ばす手を止めないでいると、
「?」
世界が不意にくるぅりと回った。
「??」
とす、と背中にかかった軽い衝撃に気がつけば、視界に映るのは切り取られたように見事な丸い空。
いったいなんなんだ、と三回まばたきして理解した。
「…………落ちた?」
「落ちたことないって言ってたから」
一回くらい落ちてみるといいかと思った。
身体の下から、半分身体を通して聞こえた声になるほどこの先輩の仕業か、と。
「あ、ちょっと。動かないで狭いから」
「はあ、」
微妙にナナメっているせいで動かし辛い下側の右半身をどうにかしようともがいていると咎められた。……狭いのは誰のせいだと思っているのか。
仕方なしに中途半端な姿勢のまま止まっていると、身体の下でもぞもぞと動く感触。
俺には動くなといっておきながら自分は動くんかい。
一応細いとはいえど十歳の身体はそれなりの重さがあるだろうけれど、元はといえば綾部先輩が原因。すまなさはどこかへやって、体全体の重さを重力にまかせたまま空が青いなあなんて思いながら穴の出口を見上げていると、
「はい。いいよ」
…………………さっきより密着度が高くなっているのは気のせいですか先輩。
精神年齢+18の恥ずかしさを堪えて言わせていただければ、現在の俺の体勢はあれだ、休日のくつろいで新聞読んでるパパと幼い子供がよくやってる。
つまり、座る綾部先輩の足の上に俺が座って後ろから抱え込むようにされている、という。
…………いや、穴の底面積が一人分しかないのは分かってるけどだったら先輩か俺、どっちかが出ればいいだけの話じゃね?
この体勢許されるのって三つか四つの子供くらいだと心底思う。
あ、でもあったかい。
湿り気の強い穴の中は地上よりひんやりしてて、指先がほんのりかじかんできたところだったからちょっとこの体温はありがたい。
人間湯たんぽの効果と羞恥心を天秤にかけてしばらく考え。
ま、いっか。
どうせこんな外れの方の穴の中覗いてみるやつなんてそうそういないだろうし。
そんなふうに思考を丸投げしたら、途端に眠気に襲われた。
元々、俺はわりと狭いところ・暗いところが好きだ。小さい頃はかくれんぼで入り込んだ戸棚の中や押し入れの布団の隙間で寝こけてしまったことも一度や二度ではない。
それが、狭い暗い穴の底、冷えた身体のところにぬくぬくの体温がぺったりついてて眠くならないわけがないだろう?さすがに男の身体だからちょっと硬いのと土の湿り気が強いのが難だけど。
ああ、でもこの匂いは嫌いじゃないかも。
土の匂いがすると小さい頃を思い出す。あの頃は地面がいっつも近かった。
それと、父さんと母さんと一緒に耕した家の前の小さな畑。
いまはもう影も形もない、いつかの風景。
さすがに寝たらまずいだろと思い一生懸命堪えていたが、本能には逆らいようがない。
納期に間に合わせようと夕べ遅くまで縫い物してたしなぁと思いながらこっくりこっくり船を漕ぎはじめると、
「眠いの?」
いやいや、さすがに俺には先輩を敷き布団にして眠りこける度胸はないですよ、と一生懸命覚醒しようと奮闘するも……正直無理かも。
がくん、と結構な勢いで頭が倒れたのに意識がフワフワとしか戻ってこない。
まずい、とほっぺたでも引っぱりゃ痛みで目がさめるだろと手を伸ばしたら
「眠れば」
そっと手で止められた。
………………そうですか?そんなにいうんじゃ、それじゃちょいと失礼して。
まず綾部先輩がこの抱えた腕を放してくれないことにはこの穴から出られないんだから仕方ない、と都合よく責任転嫁して、俺はちょっと惰眠をむさぼることにした。
今日は夜までやらなきゃならないことないし、ちょっとくらいいいよな。
寝心地よく眠るためにちょっと身体の位置をずらして、よりすっぽりと収まりをよくする。その動作に、寒いの?と聞かれた。
「湿り気が……強いのでちょっと………寒い、です」
「……もっと乾いた土の方がいいの?」
まあ、どっちかといえば。
もうろうとしつつ一つうなずくと、覚えとく、といわれた。
…………覚えとくってナニ。
と言いたかったが、もう意識が持ちそうにない。
すうっと引っ張られるように意識が底に落ちていった。
―――――――おやすみ、と、誰かの声が聞こえた気がした。
次回はもう少し乾いた、日当たりのよいあたりに穴を掘って待っててくれます(笑)
穴の底で眠りこけた二人(綾部もを湯たんぽ代わりに抱えたまま熟睡)を見つけてくれるのはおそらく仙蔵か藤内。
前者はさらりと、後者は呆れつつ見てます。
そして、委員会の後は魂飛んでる後輩を長屋まで運んでくれるとか結構いい人だ滝夜叉丸。
右手で抱えた金吾を喜三太に差し出しつつ、左腕には四郎兵衛が。
四年生で体育委員会だもの、必然的に力はあるさ。
三之助は、迷子防止のために、お迎え(作兵衛)が受け取りに来て引き渡されます。
前に一回、三年長屋の入り口まで持ってって、ここまでくれば平気だろうと思ったらば迷子になられた過去が有り(笑)
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